日本国外の失踪事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 09:35 UTC 版)
以下は行方が解明されたものも含まれる ハーメルンの笛吹き男 - 1284年6月26日に生じたと推定される集団失踪事件。 メアリー・セレスト号 - 1872年12月4日 船に乗っていた乗組員と乗客が失踪。以後行方不明。 畝傍 - 1886年12月3日、シンガポールを出港後失踪。現在まで船体および乗員の発見には至っていない。 ルイ・ル・プランス - 1890年9月16日、ディジョンからパリに向けて列車で移動中に失踪。 アイリーン・モア灯台事件 - 1900年12月、スコットランド・フラナン諸島のアイリーン・モア島灯台の灯台守3人が失踪。 ワラタ - 1909年、ダーバンからケープタウンに向け航行中に失踪。現在まで船体および乗員乗客の発見には至っていない。 ルドルフ・ディーゼル - 1913年9月29日、イギリス海峡上の船で失踪。海に転落死したものと推測される。 アンブローズ・ビアス - 1913年12月26日以降、メキシコで失踪。 サイクロプス - 1918年3月、バミューダトライアングルで失踪。現在まで船体および乗員の発見には至っていない。 キャロル・ディアリング号 - 1921年1月、船に乗っていた乗組員が失踪。以後行方不明。 ジョージ・マロリー、アンドリュー・アーヴィン - 1924年6月8日、エベレストで失踪。1999年にマロリーの遺体発見。 アガサ・クリスティ - 1926年12月3日失踪、同年12月14日発見。詳細はアガサ・クリスティ#失踪事件を参照。 ロアール・アムンセン - 1928年、北極を飛行機で探検中近くで遭難。現在まで機体および遺体の発見には至っていない。 ジョセフ・クレーター - 1930年8月6日、ニューヨークで失踪。 蔵本書記生失踪事件 - 1934年6月8日、南京で失踪、同年6月13日発見。 アメリア・イアハート - 1937年7月2日、太平洋上ハウランド島、もしくはキリバスのニクマロロ島近くで失踪。 エットーレ・マヨラナ - 1938年3月27日、ナポリ・パレルモ間の船上で失踪。 中国兵士集団失踪事件 - 1939年12月10日、3000人の中国兵が忽然と姿を消した事件。兵士達の行方は、今もって明らかではない(事件そのものが実話なのかを含めて謎が多い。)。 レディ・ビー・グッド - 1943年4月4日、爆撃任務から戻らず失踪。1958年リビア砂漠にて機体発見、後に搭乗員の遺体も発見された。 ラウル・ワレンバーグ - 1945年1月16日、ハンガリー・ブダペストでソ連軍の司令部に向かった後失踪。ソ連軍により処刑された可能性が高いとされている。1947年に病死したとの資料もあるが、それ以降の目撃もあるとされる。 鹿野忠雄 - 1945年7月15日、ボルネオ島で失踪。 岸本綾夫 - 1945年11月28日、撫順にて人民解放軍に連行された後消息不明。1946年死去とされる。 斎藤弥平太 - 1946年5月14日、中国東北部(旧満州)にて紅軍に抑留された後消息不明。1953年死亡宣告。 ダグラスC-54D行方不明事件 - 1950年1月26日、 アメリカ・アラスカ州からモンタナ州に向かっていた輸送機が失踪。現在まで機体および乗員の発見には至っていない。 辰和丸 - 1954年5月11日、南シナ海で失踪。現在まで船体および乗員の発見には至っていない。台風に巻き込まれたとされる。 メアリー・ジェーン・バーカー事件 - 1957年2月25日、ニュージャージー州で4歳の少女が失踪し、数日後に近隣の空家のクローゼットの中で遺体となって発見された。事故でクローゼットの中に閉じ込められて餓死したと考えられている。 辻政信 - 1961年4月21日以降、ラオスで失踪、1968年死亡宣告。現地で銃殺されたともいわれているが未確認。 マイケル・ロックフェラー - 1961年11月17日、ニューギニア島・イリアンジャヤで研究中に失踪。現地の首狩り族に殺害されたとの説もある。 フライング・タイガー・ライン739便失踪事故 - 1962年3月16日、 アメリカ本土から南ベトナムに向かっていた旅客機がグアムとフィリピンとの間を飛行中に失踪。機体が発見できなかったため真相不明。 フランク・モリス - 1962年6月11日、受刑者である。2人の囚人とともに自作のいかだを使って脱獄不可能とされたアルカトラズ連邦刑務所から脱獄。以後消息不明。 メフディー・ベン・バルカ - 1965年10月29日、フランス・パリで失踪。 ジム・トンプソン - 1967年3月26日、マレーシアで失踪。 ハロルド・ホルト - 1967年12月17日、オーストラリア・メルボルンの海で遊泳中に失踪。2005年、現地の検視官により水死したものと最終判断された。 ドナルド・クローハースト - 1969年7月1日頃、ヨットによる世界一周航海中に大西洋上で失踪。船に遺された日誌から、精神的に錯乱し大西洋に投身自殺したものと判断された。現在に至るまで遺体は発見されていない。 一ノ瀬泰造 - 1973年11月、カンボジアのアンコール・ワットに単身で出向き消息不明。1982年に共産主義勢力に処刑されていたことが判明。 ジミー・ホッファ - 1975年7月30日、アメリカ合衆国・デトロイトの自宅を出た後失踪。 フレデリック・ヴァレンティッヒ失踪事件 - 1978年10月21日、セスナ機でムーラビンからキング島へ向かう途中、バス海峡上空で失踪。現在に至るまで遺体は発見されていない。 シャーガー - アイルランド競走馬。1983年2月8日、覆面をつけた男らに誘拐される。翌日、犯人グループから200万ポンド(約7億円超)の身代金を要求する電話があり、拒否した所以後連絡は途絶え、行方不明になった。2000年に現場から160キロメートル離れた山中で、2つの弾痕がある馬の頭部が袋に入った状態で発見され、シャーガーのものではないかと騒ぎになったがDNA鑑定で無関係と判明。 植村直己 - 1984年2月12日 - 世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明。同年12月に公的に死亡と認定された。現在に至るまで遺体は発見されていない。 夜狸猫事件 - 1987年に中国陝西省晶山村の住民約1000人が飼っていた動物に至るまで一晩で忽然と姿を消した。人民解放軍の関与があったという説もあるが真相は不明。 タラ・キャリコ失踪事件 - 1988年9月20日にアメリカ合衆国・ニューメキシコ州で大学へ向かう途中に失踪。 カエル少年事件 - 1991年3月26日大韓民国大邱広域市達西区に住んでいた5人の小学生が失踪した事件である。事件発生から11年が経過した2002年9月に失踪小学生のものと思われる5体の白骨死体が臥竜山で発見された。検死の結果、道に迷っての遭難や転落などの事故ではなく、何者かにより殺害された事件であることが判明した。しかし犯人が誰であるかは不明のまま、2006年3月25日に公訴時効が成立した。 ヴァンダ・ルトキエヴィチ - 1992年5月12日にカンチェンジュンガ頂上付近で失踪。 リッチー・ジェームス・エドワーズ - 1995年2月1日に宿泊先のホテルから失踪。 デラウェア州知事女性秘書殺害事件 - 1996年、アメリカ合衆国・ウィルミントンで失踪、翌年死亡確認。 小西政継 - 1996年10月1日、マナスルに登頂後、消息を絶つ ペルー早稲田大学探検部員殺害事件 - 1997年10月17日にアマゾン川の筏下りによる探検中に失踪。12月にペルーイキトスの東約200km離れたアマゾン川の陸軍監視所付近で遺体発見。ペルー国軍兵士による犯行だった。 ムハンマド・オマル - 2001年、ターリバーンの最高指導者。(リンク先参照) コロンビア邦人副社長誘拐事件 - コロンビアで矢崎総業の現地法人副社長が2001年2月に誘拐され失踪。2年9ヵ月後の2003年11月に遺体で発見。 リアナ・ワーナー失踪事件 - 2003年6月14日、5歳の少女が数メートル先の友人宅に行く途中で失踪。数多くの情報提供があるものの、手がかりすらほとんどないまま未解決。失踪直前の不可解な現象の数々も相まって今なお議論を呼んでいる。 ブリアンナ・メートランド失踪事件 - 2004年3月、仕事を終えた後に失踪。乗っていた車が廃屋に突っ込んだ状態で放置されていた。 慶応大学生失踪事件 - 2006年9月2日にインドへ出発し、同年9月24日に帰国する予定だったが、連絡がつかず、失踪。 ジム・グレイ - 2007年1月28日、ファラロン諸島にヨットで向かう途中失踪。 KAZ II - 2007年4月14日 船に乗っていた乗組員が失踪。以後行方不明。 マデリン・マクカーン失踪事件 - 2007年5月3日、ポルトガルで失踪。 神田道夫 - 熱気球による冒険家。2008年2月1日に気球での太平洋横断に挑戦中に失踪。 ハダ - 2010年12月10日、中国政府により妻子と共に拘束されて以降消息不明とされていたが、2014年12月10日、中国政府はハダが4年の追加刑期を終えて出所したと発表、後日解放後の本人映像がYoutubeに投稿され、実際に解放されたことが確認された。 マレーシア航空370便墜落事故 - 2014年3月8日、タイランド湾上空で消息を絶つ。2015年1月29日乗客の死亡認定がなされ、同年7月、機体の一部が発見された。 2014年メキシコ・イグアラ市学生集団失踪事件 - 2014年9月26日、メキシコのイグアラ市の学生43人が失踪。地元政府が学生側の抗議活動を嫌い、警察・犯罪組織に拉致、殺害させていたことが判明した。 安田純平 - 2015年6月にシリアで失踪。3年4ヵ月後の2018年10月に解放された。 筑波大学生失踪事件 - 2016年12月に留学先のフランス・ブザンソンで失踪。交際相手だったチリ人男性に殺害されたとみられている。
※この「日本国外の失踪事件」の解説は、「失踪事件」の解説の一部です。
「日本国外の失踪事件」を含む「失踪事件」の記事については、「失踪事件」の概要を参照ください。
- 日本国外の失踪事件のページへのリンク