改革期
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赤軍はロシア内戦やポーランド・ソビエト戦争で積んだ経験・ドイツとの軍事交流で得た機動戦や航空戦の知識を基に、新時代に適合した新たな軍事理論の形成に全力を注いだ。旧ロシア帝国軍は日露戦争での諸軍統率の混乱を反省し、現地軍を一つの上級司令部に統合した正面軍制度を導入した。正面軍制度は第一次世界大戦で効果を発揮し、ブルシーロフ攻勢では4個正面軍が投入され中央同盟国軍に大損害を与えた。攻勢では複数の正面軍同士の連携が重視され、シンクロナイズの概念が生まれた。正面軍制度とシンクロナイズの概念は赤軍にも継承された。ロシア内戦では敵縦深を撃破する騎兵軍が活躍し、騎兵攻撃は縦深攻撃の母体となった。ポーランド・ソビエト戦争では正面軍間の連携齟齬により赤軍は敗北、北西正面軍を指揮していたトゥハチェフスキーは戦後、近代戦での連続作戦の必要性を唱えた。一度の会戦で決着がつかない近代戦では複数の作戦で敵を連続的に撃破する必要があり、戦略的勝利は作戦を段階的に達成することで完遂される。こうしたフェイズ管理の概念は連続作戦や作戦術の制定につながった。(連続作戦の成功例として1943年秋からウクライナで実施された諸作戦があげられる。)ロシア帝国軍の将校だったアレクサンドル・スヴェチンが戦術と戦略の間に位置する作戦術という新たな概念を提唱。作戦術は戦術的な成果である戦闘を戦略的に寄与させる手段として考案され、スヴェチンはクリミア戦争、日露戦争、第一次世界大戦でロシア軍が得た戦闘経験を基に考案した。1927年にはスヴェチンが作戦術を理論的に体系化して、「作戦での変化が集積して戦術は次の段階へと進化する。戦略は進路を示す。」と要約した。西側諸国には作戦術の概念は長年なく、1980年代にベトナム戦争での敗戦を反省したアメリカ軍に注目されるまで、作戦術が知られることは無かった。北川敬三は「これらの思想は、ソ連軍において第二次世界大戦や冷戦中の欧州における大規模作戦計画に活かされ、機動力を重視して敵縦深に至る縦深作戦(Deep Operation)の概念に繋がった。さらに注目すべきは、政治的イデオロギーが軍の編成や戦術までも規定したソ連から、政治的に翻訳可能な軍事的概念が出てきたことである。これは現時点で見れば一見当たり前のようにも思えるが、認知されるまでかなりの時間を要した」と述べている。 ニコライ・ヴァルフォロメーエフ(英語版)とヴラジーミル・トリアンダフィーロフは縦深攻撃を正式に理論化し、打撃軍・砲兵・空挺部隊を一体化した諸兵科連合攻撃の有効性を唱えた。トリアンダフィーロフは十数個師団からなる打撃軍を編成し、20~30kmの幅で集中突破させ他の軍が150~200kmの幅で敵軍の後退を阻止しないと突破は難しいと述べている。作戦術を連続させることで戦略的勝利を得る連続作戦理論の作成が1925年から開始され、連続作戦理論を原型とし、ドイツの機動戦理論を取り込んだ縦深攻撃ドクトリンがトゥハチェフスキーら改革派将校達により1920年末から1930年前半にかけて理論化された。1920年代末から理論に基づいた諸兵科の機械化が推進され、1929年秋には西ヨーロッパ諸国に先駆けて常設の機械化軍団が編成された。赤軍は機動戦に適合する一方でロシア帝国軍時代からの伝統である砲兵重視の火力主義を堅持し、敵軍の全縦深を対象とする火力集中を可能にするため砲兵軍団を創設。スタフカは常に数個の砲兵軍団を戦略予備とし、砲兵軍団は効率的な火力集中を可能にするため支援対象の部隊に拘束されない高位な指揮権を有した。縦深攻撃ドクトリンは作戦規模の火力支援を行う砲兵軍と大規模な機械化軍による共同作戦を前提とする赤軍独自の機動戦ドクトリンとして発展し、1936年には赤軍野外教令が公布され、正式な戦闘教義となった。 縦深攻撃における攻勢部隊は主攻を担う打撃部隊と助攻を担う拘束部隊に分けられる。攻勢では両部隊のシンクロナイズが重視され、濃密に連携した打撃部隊と拘束部隊が二重三重に配置され梯団が形成される。複数の梯団が突破口を開き、大砲兵軍が敵軍の全縦深を麻痺させる。その後機械化部隊が敵縦深を踏破して無力化をはかり、航空部隊・空挺部隊が支援する。空陸一体の諸兵科連合戦闘を可能とした縦深攻撃ドクトリンは欧米諸国に先駆けて制定された、世界最先端の機動戦理論であり、その威力はドイツとの戦争で発揮されることになる。 ソビエトの軍事理論形成に大きな役割を果たしたのがドイツである。ヴェルサイユ体制で孤立していたドイツ・ソ連両国は軍事・経済上の連携を求め、1922年4月にラパッロ条約を締結し、両国の軍事交流が開始された。ドイツ軍は兵器生産用の工場設備をソ連領内へと移し、ヴェルサイユ条約で禁止された航空機や戦車の開発・量産を行った。またソ連から提供された演習場で航空部隊や機甲部隊の演習を実施した。その見返りにソ連領内で量産された最新兵器が赤軍に提供され、ドイツ軍参謀将校が赤軍将校を育成した。 ドイツ軍将校のハンス・シュパイデルは赤軍将校を評価し、「参謀訓練過程ではソ連将校の方が向上心の点でドイツ側をしのいでることを思いしらされた。語学上のハンディキャップにも関わらず、彼らはドイツ語の教本をほぼマスターしドイツの同期生をも凌ぐようになった。」と述べている。なかでも後に改革グループの中心となったトゥハチェフスキー元帥はドイツ軍将校から高い評価をうけた。 ドイツ軍将校のシャライヒャーは「来るべきロシアの軍事的政治的発展においてトゥハチェフスキーは大きな役割をはたすのに最適であると思われる。現赤軍指導部内の最も有能な軍人の一人であり、今後より高い地位につくことは疑いない。」と述べている。 ドイツ軍の機動戦理論や航空部隊・機甲部隊の運用は赤軍の理論形成にも大きな影響を与えた。一方で戦時の大動員が可能なソビエト軍の民兵制度に国民軍への発展を試みるドイツ軍将校は深い感銘をうけた。 1933年1月のヒトラー政権の成立後にドイツとソ連の交流は途絶えたが、トゥハチェフスキーは「ドイツ国民とドイツ国軍に関する赤軍の感情は従来通りである。ドイツ国軍が赤軍建設に決定的な役割を果たしたことを決して忘れはしない。」と述べ、ドイツとの軍事提携を高く評価している。一方で赤軍将校のドイツとの蜜月関係はスターリンの疑惑を招き、トゥハチェフスキーは後にドイツのスパイとして告発されている。
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改革期
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1980年代、韓国の申相玉監督と女優の崔銀姫が北朝鮮に拉致され、平壌に申フィルムを設立した。申フィルムは、日本や香港など外国の映画人との合作を推進し、そして国際映画祭への出品などの積極的改革を進めた。作品の多くは、民衆に熱狂的に受け入れられた。
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改革期(2018年4月期以降)
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「フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ」の記事における「改革期(2018年4月期以降)」の解説
2018年4月期『コンフィデンスマンJP』の企画段階から「今後月9はどういう番組を掲げていくか」を一から検討して組織から人員配置まで改革を実施し、視聴率復調の先駆けとなった同作は平均視聴率8.9%と伸び悩んだものの、映画化され観客動員200万人、興行収入29.7億円を記録する大ヒットとなり、続編も公開されている。プログレッシブカメラでの製作に完全移行した2018年7月期以降は、かつて「火9」枠で放送されていた刑事ドラマ『絶対零度』シリーズを移した『絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜』を皮切りに「脱ラブストーリー」路線を打ち出してミステリーや刑事・医療ドラマを中心とした社会派ドラマ枠へと転換を図り、視聴率も安定して2桁を記録するなど復権の兆しを見せている。 2020年は、東京オリンピック開催による編成の都合上、春クールに『SUITS/スーツ2』を7月まで放送し、夏・秋の2クールにかけて『監察医 朝顔2』を放送するという変則的なラインナップが予定されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大による撮影スケジュール遅延のため、4月27日に予定していた『SUITS/スーツ2』第3話以降の放送が延期となり、同日と5月4日は『コンフィデンスマンJP 傑作選』、5月11日からは『鍵のかかった部屋 特別編』が放送された。なお、『SUITS/スーツ2』は7月20日に第1話・第2話が再放送され、7月27日より第3話の放送が再開して10月まで放送。また、『監察医 朝顔2』は11月2日より、秋・冬の2クールで放送された。 この改革期の最初の作品『コンフィデンスマンJP』を最後に、「オリジナルドラマ」は製作されていなかった(元々「火9」で放送されていた『絶対零度シリーズ』を除く)が、2021年7月期ドラマ『ナイト・ドクター』(これも延期された東京オリンピックの開催の影響を踏まえ、期間中の2週間放送休止があるため6月中旬に前倒して放送を開始)は3年ぶりに「オリジナルドラマ」として制作された。 2021年9月期で放送の「火9 (関西テレビ制作)」作品「彼女はキレイだった」が終了し、「火9」が再度廃枠になった事で、本枠はフジテレビ唯一の21時枠のドラマになった。その一方で、これまで放送していた火曜21時枠のドラマ枠は枠交換の形で月曜22時台に移動。月曜日については連続ドラマが連続する編成になった。
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