改革政党
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民主化後最初の大統領選挙を契機に統一民主党(金泳三総裁)と平和民主党(金大中総裁)に分裂した野党勢力は、前者が与党(民主自由党)に合流したことで後者に一本化された。その後平民党は群小政党の統合など再編を経て、1995年に結成された新政治国民会議(国民会議)へと続き、現在は「共に民主党」となっている。 1998年に発足した金大中政権の与党となった国民会議は新千年民主党(民主党)に改編された後、2003年2月に発足した盧武鉉政権の与党となったが、新主流派(親盧派)が「開かれたウリ党」(ウリ党)を結成したことで分裂し、野党に転じた。新たな与党となったウリ党は、盧大統領の政権運営が失敗したことを主要因とする支持率低下で大統領の任期満了を待たずに解体、大統合民主新党(民主新党)を経て、かつて袂をわかった民主党と2008年に再統合した。 改革勢力が再統合して発足した民主党は2011年12月に市民統合党(親盧派の政治家と市民団体を中心とした政治組織「革新と統合」が結成した政党)や韓国労働組合総連盟(労働組合)と合同し民主統合党に改編(2013年5月4日に党名を「民主党」に改称)。2014年3月には、12年の大統領選挙序盤戦で旋風を巻き起こした安哲秀が結成を進めていた新政治連合と統合して新政治民主連合(新政治連合)となったが、主流派である親盧派主導による党運営に反発した安哲秀は同党を離党、2016年1月に新政治連合非主流派議員らと「国民の党」を結成した事で再び分裂した(新政治連合は2015年12月に党名を「共に民主党」へ改称)。 2017年3月に朴槿恵に対する大統領弾劾訴追が認められ、大統領職を失った事により同年5月に繰り上げて行われた大統領選挙で文在寅が勝利したことで、共に民主党は9年ぶりに与党に復帰した。 表5「改革政党の沿革」(金大中・盧武鉉政権与党)主な支持基盤党名年概要全羅道 平和民主党 1987年〜1991年 統一民主党を離党した金大中が結成。 民主党 1991年〜1995年 新民主連合党 と民主党 が統合して結成。 新政治国民会議 1995年〜2000年 民主党を脱党した東橋洞系議員が結成。 新千年民主党 2000年〜2008年 国民会議を母体として結成、後に民主党に改称。 開かれたウリ党 2004年〜2007年 民主党内の親盧武鉉派が結成。 大統合民主新党 2007年〜2008年 ウリ党の後継政党 民主党 2008年〜2011年 民主新党と民主党が合併。発足直後は「統合民主党」を名乗っていた。 民主統合党 2011年〜2014年 民主党と市民統合党及び韓国労総(労働組合)が合同して結成。2013年5月に党名を「民主党」に改称 共に民主党 2014年〜 民主党と新政治連合(結党準備委員会)が合同して結成。2015年12月までは「新政治民主連合」を名乗っていた。 国民の党 2016年〜2018年 新政治民主連合を離党した安哲秀と彼を支持する同党出身議員によって結成。2018年2月に正しい政党と統合して「正しい未来党」を結成。これに反対する一部議員は「民主平和党」を結成。 民生党 2020年〜 全羅道を基盤とする民主平和党の他、正しい未来党や代案新党など社会保守主義性向が強い政党が合同して結成。 ヨルリン民主党 2020年〜 共に民主党を離党した一部グループが結成した政党。進歩性向が強い。
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