理念・政策対立の浮上と地域主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:53 UTC 版)
「大韓民国の政党」の記事における「理念・政策対立の浮上と地域主義」の解説
地域主義が民主化以降の韓国政党制を左右してきたため、主要政党は基本的に穏健保守で政策的な違いが小さく、選挙では候補者や政党の地域的縁故のみが問われ、政党間における政策論争が占める割合は非常に小さかった。しかし、盧武鉉政権の発足、第17代国会では改革政党でありながら進歩的傾向が強い386世代が多数を占めるウリ党が躍進、進歩政党である民主労働党も院内に進出したことで、政党間での政策的な違いが表面化。対北朝鮮や対アメリカに代表される外交政策や、構造改革によって生じた社会の両極化に対する経済政策など政策面での新たな対立軸が浮上、政治理念的の違いによる国内対立が生じるようになった。その対立軸に沿う形で、与野党間での政策論争が活発化し、地域主義が後退し、政党の全国政党化も進むようになった。 また2011年10月のソウル市長補欠選挙にて普遍的福祉を掲げる市民運動出身の朴元淳が当選したことは、当時の二大政党であったハンナラ党と民主党にも政策的な変化を及ぼすことになった。ハンナラ党はセヌリ党に党名改称したうえで従来の成長主義一辺倒から非正規労働者の差別是正や福祉拡大など路線を修正。一方の民主党は市民運動勢力や労働組合と合同して民主統合党を結成し、無償給食実施や健康保険の範囲拡大、従来は反対していた非正規雇用の原則使用禁止など政策面で進歩的な色合いが強い政党となった。 強固とされてきた全羅道の地域主義については、2003年に金大中が引退後、以前の大統領選挙において見られた80%(絶対得票率 での数字)を越えるような圧倒的な得票(モルピョ)を維持することは困難となっている他、国会議員選挙においても2008年選挙以降は同地域を地盤とする政党の絶対得票率が大幅に低下していることが確認されている。これは、2003年の民主党分裂とウリ党結成が全羅道地域住民に失望感を与えたことや、2012年総選挙における統合進歩党との全国的な選挙協力が地域政党(民主統合党)以外の政党に投票しやすい環境を作ったこと、地域政党であり続ける民主党に対する嫌気が生じていることが指摘されている。 2014年7月の国会議員再補選では全羅南道において保守系政党(セヌリ党)の候補が民主化以降初となる当選を果たした他、2015年4月再補選では光州市で無所属候補が改革政党(新政治民主連合)の候補者を大差で破って当選、2016年4月総選挙では改革政党(共に民主党)が強固な地盤であるはずの全羅道において大敗、セヌリ党候補が初めて連続当選するなど、前述の指摘を裏付ける結果となった。しかし2020年の総選挙では改革政党が全羅道でほぼ全勝、保守政党も慶尚道でほぼ全勝する結果となり、再び地域主義が復活する形となった。
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