ソウル市長補欠選挙
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「民主党 (韓国 2008-2011)」の記事における「ソウル市長補欠選挙」の解説
8月24日に行われた小中学生学校給食無償化の実施範囲を問う住民投票が不成立となった責任をとって、呉世勲ソウル市長が辞任した事を受け、10月26日にソウル市長補欠選挙が行われることになった。 当初、ハンナラ党と民主党による一騎討ちが予想されていたが、市民運動家の朴元淳弁護士が出馬を表明、若年層から高い支持を集め市長選出馬を模索していた安哲秀融合科学技術大学院長が朴氏支持を表明したことで構図は一変した。そして野党統一候補予備選挙の結果、朴元淳が民主党の市長候補である朴映宣(9月25日の党大会で選出)らを破って野党統一候補に選出された。この結果、1995年に自治団体長の公選制が復活して以来、第1野党の民主党(その前身となる勢力も含めて)がソウル市長選挙に初めて党候補者を出せなくなる事態となった。この責任をとる形で4日、孫代表は辞任を表明するも、翌5日には党幹部や議員からの慰留を受け辞意を撤回した。市長補選では野党統一候補となった朴元淳が當選したが、同時に11地域で行われた基礎自治団体長選挙では党の地盤である全羅道の2地域で勝利したに留まった。 ソウル市長補選の詳細は2011年ソウル市長補欠選挙を参照
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ソウル市長補欠選挙
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詳細は「2011年ソウル市長補欠選挙」を参照 無償給食の是非を問うため、住民投票が2011年8月24日に実施されたが、投票成立に必要な投票率(全有権者の3分の1)を下回って不成立(未開票)となった。無償給食反対の立場から住民投票を推し進めてきた呉世勲ソウル市長は住民投票不成立の責任をとる形で、翌々日の26日に市長を辞任したため10月26日にソウル市長補欠選挙が実施されることになった。 翌2012年に行われる総選挙と大統領選挙の動向を占う重要選挙として与野党とも市長選挙に向けた動きを本格させる中、市長選挙への出馬意志を明らかにした。こうした中、若年層を中心とする支持率が高く市長選挙への出馬を模索していた安哲秀(アン・チョルス)融合科学技術大学院長が市長選不出馬を9月6日に表明 し、朴支持を明らかにした。また最大野党民主党における有力市長候補である韓明淑元国務総理とも協議し野党圏単一候補を実現するためにお互いに努力することで一致した。 2011年10月3日、ソウル市長補欠選挙にて野党候補を一本化するための予備選挙 が行われた。選挙の結果、世論調査とテレビ討論で高い支持を得た朴元淳が52%以上の支持を得て、民主党候補の朴映宣(パク・ヨンソン)議員と民主労働党候補の崔圭曄(チェ・ギュヨプ)を押さえて統一候補に確定した。この結果、ソウル市長補欠選挙は与党ハンナラ党候補の羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)と進歩系野党統一候補となった朴元淳による事実上の与野党一騎討ちとなった。 選挙戦では無党派層の支持を得て戦いを有利に進めた。そして投開票の結果、ナ候補に7.2%およそ29万票の差をつけて当選を果たした。なお市長選挙で与党候補を破って当選を果たしたことで、来年の大統領選挙における有力候補と目される安哲秀ソウル院長と連携して新党を結成するのではないかとの見方が一部で広がったが、朴市長は27日に民主党孫鶴圭代表を表敬訪問した席で、これを否定した。
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