国内対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:48 UTC 版)
「アフマド・カディロフ」の記事における「国内対立」の解説
内戦終結後のチェチェンでは依然として連邦派と独立派の対立が尾を引いていたが、これに加えて独立派の間でも対立が生じつつあった。独立派の多くは愛国心から志願したチェチェン人兵士と、同じイスラム教徒を救おうと参陣したイスラム義勇兵(ムジャヒディン)から成り立っていた。しかしチェチェン人とイスラム義勇兵は同じイスラム教徒ではあったが、イスラム義勇兵の多くはワッハーブ派を信仰しており、チェチェン人の多数が信仰するスーフィズムとは折り合いが悪かった。チェチェン人のイスラム文化を代表するカディロフはイスラム義勇兵と結びつく独立派内の強硬派に危機感を抱くようになった。同じく復興の為にロシアとの対立解消を目指すマスハドフ大統領もジハードの完遂を主張する強硬派に手を焼いていた。 カディロフとマスハドフは手を結んで強硬派の切り崩しを進め、リーダー格であったシャミル・バサエフ司令官を国防大臣に迎えるなどの策を進めた。しかしバサエフが主張を曲げずに政権を離脱すると、マスハドフは強硬派の分断を狙ってワッハーブ派を庇護する姿勢を見せた。これに激怒したカディロフはマスハドフを批判したが、逆にマフティーから解任され政権から追放されてしまう。
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