暗殺未遂・残る国内対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 03:57 UTC 版)
「アビィ・アハメド」の記事における「暗殺未遂・残る国内対立」の解説
2018年6月23日に、首都での一般公開による首相参加の政治集会において、手榴弾が投げられて、首相は無事だったが2名の死者と多くのけが人が発生した。また、北部ティグレ地方を基盤とする既得権力を持ったティグレ人側のアビィ首相に対する反発が存在し、決して無視できない状況である。 2019年10月23日、オロミア州で実施されていたアビィへの抗議デモが、暴動へと発展。デモの発端は、アビィの元盟友で、民族活動家のジャワル・モハメド(英語版)が「治安部隊によって自身への攻撃が画策されている」と発表したことだった。アビィは、前日の22日、演説で「外国人とエチオピア旅券を所持しない人々」に向けて、エチオピアの平和と存在を脅かすならばいつでも行動に移ると発言しており、これがアメリカで実業家として活動しているジャワルの事を指していると受け取られた。アビィは、ジャワルの主張を否定している。この暴動の死者は60人以上の惨事へと発展した。 2019年12月、アビィによって繁栄党がエチオピア人民革命民主戦線の後身として結成されるも、エチオピア人民革命民主戦線に参加していた4党のうちティグレ人民解放戦線のみこれに参加しなかった。
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