暗殺準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:36 UTC 版)
一方、四元は三田台町の牧野伸顕内大臣、池袋正釟郎は静岡県興津の西園寺公望、久木田祐弘は幣原喜重郎、田中邦雄は床次竹二郎、須田太郎は徳川家達の動静を調査していた。 井上準之助暗殺の後、日召は民間での個人テロに限界を感じたため、再び軍部・大川との連携を模索し始めていた。日召は、古賀を天行会道場に呼び出し、西田税のところに行って軍部の同志に対して、集団テロを早急に組織するよう依頼すること、大川周明のもとに行き、大川にもテロ計画に加わるよう説得するように命じた。 2月21日、古賀清志が大川を訪問、また2月27日、古賀と中村義雄は西田税を訪ね、西田の家にいた菅波三郎、安藤輝三、大蔵栄一に、陸軍側の決起を訴えたが、両者ともに色よい返事をしなかった。西田は郷詩社会合の頃から既に、性急なテロやクーデターには反対であり、大川は、十月事件が失敗したことから合法路線に舵を切ったからである。ただ、大川は、拳銃の入手の依頼に対しては、何とか都合をつけると約束した。 以前から血盟団のメンバーや古賀らの海軍将校は西田のことを、実行力がない、権力に対する野心が気に入らない、日召を邪魔者扱いしている、などと感じて嫌っており、今回、再び西田に面会して、テロ計画に後ろ向きであることに腹を立てた古賀は、この後、五・一五事件へ向けた準備を始めた。同事件には、大川が手当てした拳銃が使われた。 一方、日召は井上準之助暗殺後に菱沼五郎による伊東巳代治の殺害は困難になったと判断し、2月17日、菱沼に対して暗殺の対象を政友会幹部で元検事総長の鈴木喜三郎に変更する指示を出した。菱沼は、翌日巣鴨で四元と会い暗殺用のピストルを渡され、2月27日に川崎市宮前小学校で予定されていた演説会場に赴いたが、鈴木は会場にやってこないことがわかり暗殺は失敗した。
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