エチオピア人民革命民主戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 21:05 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動エチオピア人民革命民主戦線(エチオピアじんみんかくめいみんしゅせんせん、英語: Ethiopian People's Revolutionary Democratic Front、略称EPRDF)は、エチオピアの政党連合、与党勢力。オロモ人民民主機構、アムハラ民族民主運動、南エチオピア人民民主運動、ティグレ人民解放戦線の4大組織を中心に、その他多数の小政党で構成される。最大勢力はオロモ人民民主機構。議会で圧倒的多数を構成している。
1989年結成。1991年にメンギスツ・ハイレ・マリアム率いるエチオピア労働者党の社会主義政権を打倒し政権につくまでは、反政府勢力としてゲリラ活動を行っていた。
2019年にアビィ・アハメドによって繁栄党がエチオピア人民革命民主戦線の後身として結成され、エチオピア人民革命民主戦線に参加していた4大組織のうちティグレ人民解放戦線はこれに参加しなかった[1]。
脚注
- ^ “The new political party of Ethiopia’s Abiy holds much promise but faces significant hurdles”. Quartz Africa. Quartz (2019年12月13日). 2020年11月19日閲覧。
関連項目
出典
エチオピア人民革命民主戦線
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「ハイレマリアム・デサレン」の記事における「エチオピア人民革命民主戦線」の解説
1990年代末から2000年代初めにかけて、ハイレマリアムはエチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)の党員として政治に深く関与し、南部諸民族州の副知事になった。前任のアバテ・キショは汚職疑惑で権力の座から降ろされたが、実際には2000年にティグレ人民解放戦線(EPRDFの中核)が分裂したとき、アバテが反メレス・ゼナウィ陣営を支援したため失脚したのだと信じられた[要出典]。また、彼が良い教育を受けておらず、在任中に指導力を発揮することがほとんどなかったという意見も広く共有されていた。
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