ヘンリー5世の内政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 16:13 UTC 版)
「ヘンリー5世 (イングランド王)」の記事における「ヘンリー5世の内政」の解説
ヘンリー5世は全ての内政問題に直接関与し、そして次第に自身の影響力を高めていった。また、その即位当初から自らをイングランドという連合国家の長と位置付け、過去の国内対立を水に流す方針を明確にした。 まず父と対立したリチャード2世を再度丁重に埋葬し、リチャード2世が在位していた間の推定相続人であるマーチ伯エドマンド・モーティマーをお気に入りとして手元に置き、さらには爵位・領土を没収されて苦しんでいた貴族たちには爵位・領土を順次回復していった。ホットスパーの遺児ヘンリー・パーシーもノーサンバランド伯を継承した。 ヘンリー5世にとって最大の内政課題は、当時異端として迫害されていたロラード派の不満分子に対する対処であった。1414年1月にジョン・オールドカースルの反乱を未然に防いだヘンリー5世は内政基盤を堅固なものとした。1415年6月にサウサンプトンの陰謀事件(英語版)を除いてはこれ以降の彼の統治期に大きな内政問題は発生していない。 また、政府公式文書での英語の使用を促進した。彼は350年前のノルマン・コンクエスト以来初めて、個人書簡に英語を使用した王であった。
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