ヘンリー2世の即位とアンジュー帝国の名目上の成立
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「アンジュー帝国」の記事における「ヘンリー2世の即位とアンジュー帝国の名目上の成立」の解説
スティーヴンは既にノルマンディーへの要求を諦めていた。ルイ7世が明らかにジョフロワ5世を正式にノルマンディー公と認めていたとしても、ジロー2世の問題のため2人の王との同盟は可能であった。1151年にルイ7世はノルマンディーのヴェクサンを譲渡する代償としてジョフロワ5世の息子であるアンリ・ド・プランタジュネを新しい公に認めることに同意した。1151年にジョフロワ5世が38歳で死ぬとアンリがアンジュー伯となった。ヴィルヘルム・フォン・ノイブルク(ニューバラのウィリアム)の本(1190年頃)によれば、ジョフロワ5世はアンリに対して、仮にイングランドの王冠を勝ち取ったのなら、弟のジョフロワにアンジューを譲渡すべきであると明言した。遺言が確固たるものにするために、ジョフロワ5世はアンリがイングランド王位を獲得してアンジューを手放すまで自身の埋葬を禁じると布告した。 1152年3月、ルイ7世とアリエノールは長い間子供を儲けられなかったことから、近親婚を理由にしてボージャンシー宮殿で離婚した。離婚後にはアリエノールにはアキテーヌ公領が残されたが、フランス王の支配は続いたままであった。8週間後にアリエノールはアンリと再婚した(アンリは最早ルイ7世と関係を持っていなかった)。かくしてアンリはアキテーヌとガスコーニュの公となったが、このことからアンリが弟にアンジューを譲渡しないのは一目瞭然であった、というのもアンジューを弟に渡すと、アンリの領土が二分されてしまう(ノルマンディーとガスコーニュの中間にあるアンジューを弟に渡すとアンリの領土が分断されてしまう)からである。ルイ7世主導の許でアンリに敵対心を持つものがすべて集められた。つまりイングランド王スティーヴン及び息子のブローニュ伯ウスタシュ4世(ルイ7世の姉妹と結婚)、シャンパーニュ伯アンリ1世(アリエノールの娘マリーと婚約)、ドルー伯ロベール1世(ルイ7世の弟)、そしてジョフロワ(最早アンジューを求めていなかったが)が反アンリ同盟を締結した。 1152年7月にカペー家の軍隊がアキテーヌを攻撃したが、他方、ルイ7世はウスタシュ4世、アンリ1世、ロベール1世と共に自らノルマンディーを攻撃した。スティーヴンがイングランドにおいてアンジュー家に忠実な者達を攻撃している間に、ジョフロワはアンジューで反乱を起こした。何人かのアングロ=ノルマン貴族は、訪れるべく禍に備えて忠誠先を切り替えた。アンリは自らの領土が攻撃されている時に、イングランドへの要求を強めるために船を進めていた。アンリは最初にアンジューに赴いてジョフロワに降伏を要求し、それが認められると1153年1月にスティーヴンに会うためにイングランドへ船を進めた。幸運にもルイ7世は重病のため闘争から身を引かねばならず、その一方でアンリは敵から領地を守っていた。7か月間の戦闘と政治的駆け引きの後、アンリはスティーヴンを無力化することに失敗した。その頃、ウスタシュ4世が死亡し、そのことが「神の嚇怒」ではないかと疑われた。これが最後の付け足しで、スティーヴンはウィンチェスター条約(ウォリングフォード協定ともウェストミンスター協定とも)の批准で闘争から身を引いた。スティーヴンはアンリを相続人とした。ただし、スティーブンの家族(ウスタシュの弟がノルマンディーに持つ領土など)のイングランドとフランスの領土を保証することが条件であった。同じ頃、リンカーンで勝利したばかりのマティルダはこの条項を拒絶した。1154年12月にアンリはイングランド王ヘンリー2世となった。続いてヘンリー2世がジョフロワにアンジューを譲渡するという約束の問題が再び持ち上がった。ヘンリー2世はローマ教皇ハドリアヌス4世から無理やり誓約をさせられたという理由で特許状をもらい、1156年にジョフロワには代償を払うとルーアンで約束した。しかし、後にジョフロワはこれを拒絶して再び反旗を翻すことになる。仮にジョフロワに確固たる道徳的な要求があったとしても、それでもなお彼の立場は非常に弱かったであろう。ヘンリー2世が自らをノルマンディー、アンジュー、アキテーヌの封臣として忠誠宣誓をルイ7世に誓ってから、ルイ7世はヘンリー2世に干渉しなくなった。ヘンリー2世がジョフロワの反乱を粉砕してからは、ジョフロワは年金で満足しなければならなくなった。
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