ヘンリー2世の時代から近世へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/17 01:53 UTC 版)
「ドーヴァー城」の記事における「ヘンリー2世の時代から近世へ」の解説
ドーヴァー城が現在に近い形となったのはヘンリー2世の治世中である。内郭、外郭そして主塔がこの時代に築かれた。建築はモーリスという名の技術者によって行われたとされている。1179年から1188年にかけて、ヘンリー2世は歳入の1万ポンドのうち6500ポンド以上をこの城の建築に費やした。 1216年の第一次公伯戦争の際、フランスの王太子ルイはイングランドを攻撃すべくドーヴァー城を包囲したが、最終的に城を占領することはできなかった 。13世紀後半、現在のタワー22に風車が建設され、それ以降風車塔と呼ばれることとなった。その後、ヘンリー8世は城の防御装備を火薬兵器に改修した 。 イングランド内戦中、ドーヴァー城は国王派の支配下にあったが、1642年に議会派によって奪取された。
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