ヘンリー7世の即位とヨーク派の反乱とは? わかりやすく解説

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ヘンリー7世の即位とヨーク派の反乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:06 UTC 版)

薔薇戦争」の記事における「ヘンリー7世の即位とヨーク派の反乱」の解説

勝利したヘンリー・テューダーロンドン入って議会招集し1485年10月30日戴冠式挙行した(ヘンリー7世)。11月開催され議会は、ヘンリー7世血統についてはさほど詮索せず、ボズワースの戦い勝利を「神の御意志」として即位正当性承認している。 翌1486年1月18日ヘンリー7世は自らの地位固めるために、エドワード4世王女であり、当時最有力ヨーク家系の王位継承権有していたエリザベス・オブ・ヨーク結婚した。これにより、ヘンリー7世2つ王家統合することになり、ライバルだった白と赤の両家図案組み合わせた新たなテューダー・ローズ用いようになったヘンリー7世王位固めるために、様々な口実もうけて潜在的な王位継承権者を粛清し、この政策次代ヘンリー8世にも引き継がれている。 アイルランド反乱軍に「エドワード6世」として推戴されたシムネル少年Encyclopedia Britannica, 11th Ed.,1910年 パーキン・ウォーベック王弟ヨーク公リチャード名乗りリチャード4世僭称した。 多く歴史家たちはヘンリー7世即位をもって薔薇戦争終了としているが、一部の者たちは、ヘンリー7世打倒してヨーク王家再興しようとする陰謀がなおも存在していたことから、この内戦は15世紀末まで続いたとしている。ボズワースの戦いの翌1486年リチャード3世侍従だったラヴェル卿(英語版)がヨークシャー挙兵する事件起こったが、烏合の衆であり戦う前に四散した1487年ラヴェル卿はスイス人およびドイツ人傭兵率いてアイルランド上陸する。この反乱にはエドワード4世の妹でブルゴーニュ公未亡人マーガレット関与しており、リンカーン伯ジョン・ド・ラ・ポール(リチャード3世の甥で王位継承者指名されていたが、ヘンリー7世帰順していた)も加わっていた。反乱軍指導者たちはランバート・シムネルという少年を、ヨーク王族生き残りで最も有力な王位継承権を持つウォリック伯エドワードクラレンス公遺児)の替え玉とし、ダブリンにおいて「エドワード6世」として戴冠させた。だが、本物ウォリック伯身柄は既にヘンリー7世確保されており、その証明として彼はロンドン市街を行進させられた。反乱軍ランカシャー上陸してイングランド本土侵攻するが、7月17日ストーク・フィールドの戦いヘンリー7世率い国王軍撃破され、リンカーン伯戦死しラヴェル卿は逃亡した捕らえられたシムネル少年赦免され宮廷厨房使用人とされた。 1491年に、エドワード5世とともにロンドン塔幽閉され消息を絶った王弟ヨーク公リチャード名乗る人物パーキン・ウォーベック)が現れたことにより、ヘンリー7世王座は再び脅かされた。ウォーベックフランス王シャルル8世ブルゴーニュ公太妃マーガレットハプスブルク家オーストリア大公マクシミリアン支持受けてリチャード4世名乗りネーデルラントアイルランド活動し幾度かイングランドへの上陸を図っている。1496年にはスコットランド王ジェームズ4世支援受けてノーランバランドへ攻め込むが、ヨーク派からの支持得られ失敗した1497年コーンウォール重税抗議する反乱起きたコーンウォール人反乱英語版))。ウォーベックはこの反乱加わりエクセター包囲する失敗して捕らえられた。彼は同じくロンドン塔監禁されていたウォリック伯とともに脱獄を図るが失敗し1499年2人処刑された。 ヨーク家血統継ぐ者として、バッキンガム公エドワード・スタフォードリンカーン伯の弟であるサフォーク公エドムンド・ド・ラ・ポール、リチャード・ド・ラ・ポール(英語版兄弟残っていた。サフォーク公1501年国外へ逃れてヘンリー7世打倒企てたが、もはや支援する君主はなく、イングランド送還され1513年処刑されヨーク派による陰謀はほぼ終息する。 バッキンガム公エドワード・スタフォードヘンリー8世時代1520年に、さしたる理由なく捕らえられ処刑された。リチャード・ド・ラ・ポールはフランス王フランソワ1世後援受けてイングランド侵攻企てる実現せず1525年パヴィアの戦いフランス軍加わり戦死している。クラレンス公の娘のマーガレット・ポールテューダー家和解して生き残りソールズベリー伯位の襲爵許されたが、1541年ヘンリー8世によって処刑されテューダー家対抗しうるプランタジネット家系の王位継承権者は完全に抹殺された。

※この「ヘンリー7世の即位とヨーク派の反乱」の解説は、「薔薇戦争」の解説の一部です。
「ヘンリー7世の即位とヨーク派の反乱」を含む「薔薇戦争」の記事については、「薔薇戦争」の概要を参照ください。

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