ヘンリー8世没後の財政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/04 09:47 UTC 版)
ヘンリー8世の死後、国家は重い負債を抱えることになった。物価はテューダー朝の治世期を通して上昇し続け、特にヘンリー8世の改鋳によって引き起こされた物価の高騰が多くの困窮者を生み出し、農民一揆も頻発した。 摂政となったサマセット公エドワード・シーモアもフランスとの戦争費用調達のために、王領地の売却や通貨の悪改鋳を行なった。サマセット公による改鋳で貨幣の銀純度は4分の1にまで引き下げられた。 エドワード・シーモア失脚後に権力を握ったノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリーも財政補填のため1551年に同様に貨幣の品質を落とす改鋳を行なった。しかし、通貨の信用失墜によるインフレーションが進行したことから、翌1552年には貨幣の品質を高めると同時に財政改革に着手することになった。 しかし、女王エリザベス1世がトーマス・グレシャムの助力を得て貨幣問題に着手していたころには、当時スペイン領だったアメリカの鉱山から金銀がヨーロッパに流入し、これがさらに物価の高騰をもたらした。さらにそれまでの貨幣「悪鋳」によって為替レートが低下し国内の毛織物産業が輸出を伸ばしていたが、「良貨」の鋳造により為替レートが急騰し、輸出に歯止めがかけられることになった。 こうして活況だったイングランド経済は、1550年を境に16世紀後半は不況に陥ることになった。
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