理念優先から生じる弊害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 15:58 UTC 版)
「エビデンスベイスド」の記事における「理念優先から生じる弊害」の解説
もともとエビデンスベイスドの理念とは、数々のエビデンスを収集し、そこから特定の理論を演繹するものであるが、研究機関によっては仮説に過ぎないものを強引に理論に仕立て上げてしまうことを以って、「理論を証明した」ことにするために、エビデンスを収集するところがある。つまり、順序が逆になっているわけである。 言い換えれば、「科学(医学)するための科学(医学)」ではあるが、「人間のための科学」にならない場合である。 分かりやすい例として、いま仮に、特定の手術法でマスメディアなどに有名な病院があるとする。その手術法が、患者にとって最善の治療法ではないにもかかわらず、その病院としては「エビデンスベイスド」な発表をするために、あたかも手術法が患者にとっても最善であるかのような説明を行い、患者の同意書(インフォームド・コンセント)も得て、その手術を行なう。患者が、自己治癒力も含めて、他にどんな闘病や施術を行なったか否かにかかわらず、これで患者が改善に向かえば、これはその商業主義的な病院にとって宣伝材料になるわけであり、近代科学の理念にのっとって正当に発表できる症例、すなわちエビデンスとなるわけである。 近代科学に貢献するはずだったエビデンスベイスドの理念は、あまりにもそれを原理原則として寄りかかってしまうと、かえって本質を見失うもとになったりしている。上記の例では、実際には科学にも患者にも貢献していない状態となる。そういう観点からのエビデンスベイスド批判というものが存在する。
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