1579年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 06:18 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 15世紀 - 16世紀 - 17世紀 |
十年紀: | 1550年代 1560年代 1570年代 1580年代 1590年代 |
年: | 1576年 1577年 1578年 1579年 1580年 1581年 1582年 |
1579年(1579 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
他の紀年法
カレンダー
できごと
日本
- 4月(天正7年3月) - 越後国で御館の乱が終結。上杉景勝が新しい上杉氏の当主になる。これに伴い甲斐国武田氏と相模国後北条氏との甲相同盟が破綻。
- 5月 - 安土城において織田信長が法華宗と浄土宗の宗論を裁定する(安土宗論)。
- 7月 - 織田家臣明智光秀が丹波国を平定する。
- 10月 - この段階で甲斐武田氏と常陸国佐竹氏との間で後北条氏を対敵とする甲佐同盟が成立。
- 10月5日(天正7年9月15日) - 松平信康が遠江二俣城で自刃する。(信康事件)。
- 10月19日 - (天正7年11月19日) - 織田信長の侵攻を受け、城主の荒木久左衛門が開城。有岡城の戦いが終結する。
誕生
- 1月12日 - ヤン・ファン・ヘルモント、フランドルの医師、化学者、「ガス」という概念の考案者(+ 1644年)
- 2月3日(天正7年1月8日) - 八条宮智仁親王、皇族(+ 1655年)
- 2月5日(天正7年1月10日) - 鈴木正三、僧、仮名草子作家(+ 1629年)
- 5月2日(天正7年4月7日) - 徳川秀忠、江戸幕府第2代将軍(+ 1632年)
- 11月11日 - フランス・スナイデルス[1]、フランドルの画家(+ 1657年)
- 11月25日(天正7年11月7日) - 毛利秀元、武将・長府藩初代藩主(+ 1650年)
- 春日局、徳川家光の乳母(+ 1643年)
- 烏丸光広、公卿、歌人(+ 1638年)
- 小堀政一(小堀遠州)、大名、茶人、建築家、作庭家、書家(+ 1647年)
- マルティン・デ・ポレス、ペルーのカトリック教会ドミニコ会修道者、聖人(+ 1639年)
死去
- 2月5日 - ジョヴァンニ・バッティスタ・モローニ、イタリアの画家(* 1522年頃)
- 3月28日(天正7年3月2日) - 山科言継、公家(* 1507年)
- 4月13日(天正7年3月18日) - 上杉憲政、戦国大名、山内上杉家当主、関東管領(* 1523年)
- 4月19日(天正7年3月24日) - 上杉景虎、武将(* 1554年)
- 5月29日(天正7年4月29日) - 二条晴良、公家(* 1526年)
- 7月1日(天正7年6月8日) - 波多野秀治、丹波国の武将(* 生年不詳)
- 7月6日(天正7年6月13日) - 竹中重治(竹中半兵衛)、武将(* 1544年?)
- 7月23日(天正7年6月30日) - 策彦周良、戦国時代の臨済宗の禅僧、外交官(* 1501年)
- 9月19日(天正7年8月29日) - 築山殿、徳川家康の正室(* 1542年?)
- 10月5日(天正7年9月15日) - 松平信康[2]、武将、徳川家康の長男(* 1559年)
- 10月11日/12日 - ソコルル・メフメト・パシャ、オスマン帝国の大宰相(* 1505年)
- 10月21日(天正7年10月2日) - 種子島時尭、戦国武将、種子島氏14代(* 1528年)
- 11月21日 - トーマス・グレシャム、イギリスの財政家、貿易商(* 1519年頃)
- 兪大猷、明の武官(* 1504年)
脚注
注釈
出典
- ^ Frans Snyders Flemish painter Encyclopædia Britannica
- ^ 谷口克広 2007, pp. 203–211
関連項目
Weblioに収録されているすべての辞書から1579年を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 1579年のページへのリンク