著名な爆撃機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 01:23 UTC 版)
「爆撃機一覧」も参照 アメリカ合衆国 ボーイング B-17 フライングフォートレス(空の要塞) 1万機以上制作された第二次大戦初期のアメリカの主力爆撃機。4発の大型機体で、5 tに達する爆弾搭載量と4,000 kmに達する航続距離、充実した防御火器はこの頃の世界随一。排気タービン採用により高空での飛行性能がよく、迎え撃つ枢軸国を悩ませた。開戦当初は世界屈指の航空戦力を誇ったドイツを相手に、戦略目標として工業地帯を昼間爆撃したため手痛い反撃に遭い損害も多かったが、4発機ゆえの頑丈さ・生残性は同盟国にも高く評価された ボーイング B-29 スーパーフォートレス(超空の要塞) 1944年のアメリカ軍のサイパン占領後、サイパンの飛行場から日本本土に飛来し、焼夷弾による絨毯爆撃で日本の諸都市を焼き尽くして継戦能力を奪い、さらには1945年8月に広島市と長崎市に原子爆弾を投下した機体。現代機のような完全与圧室を装備し、高度10,000 mでも乗員は普段着かつ酸素マスク無しで操縦した。防御機銃は遠隔操作により作動する。爆弾は9tまで搭載可能、爆弾を少なくすれば航続距離は9,000 km、最大速度は576 kmを発揮し、これは零戦よりも速い。のちにエンジンを高性能版に換装したB-50型が開発され、朝鮮戦争初期に活躍した。 ボーイング B-52 ストラトフォートレス 戦後相次いで作られたアメリカ戦略爆撃機の決定版で、1955年の運用開始から主要部品や電子機器を更新しながら現在でも使われている。2050年代までの運用が予定されており、2055年まで運用されると前代未聞の100年間実戦配備された軍用機となる。遠目からは4発機のようにも見えるが実際は8発機で、エンジンは2基ずつ束ねて主翼下に吊り下げている。ベトナム戦争の北爆や湾岸戦争等、通常爆弾による絨毯爆撃に使われた。B-1B配備(1985年)以後の本機の核任務は、核巡航ミサイル発射母機となっている。 ロックウェル B-1 ランサー マッハ2で飛ぶ可変後退翼を持った4発の大型超音速爆撃機として設計された。ジミー・カーター大統領の時に一旦開発が中止されたが、ロナルド・レーガン大統領がB-1Bとして復活させた。時代の流れに合わせて最大速度をマッハ1.25に留め、低空侵攻速度も音速以下に抑えたが、その代わりにステルス性と汎用性を高めた。生産機数100機。 ロッキード F-117 ナイトホーク 世界最初の本格的ステルス実用機。当時のコンピューターシミュレーションから割り出した、レーダー反射を極力減らす形状と構造を採用した。赤外線の排出を減らすために2基のエンジン排気口はスリット型にする、自分から電波を発するレーダーはステルスと相反するので装備しない、搭載する兵器は全て機体内に収める、等の徹底的な対策を施している。生産機数64機。戦闘機をあらわすFの記号がついているが、空戦能力は低く超音速性能もないため、実質的には専任の攻撃機である。 ノースロップ・グラマン B-2 スピリット 全翼機と言う特徴的な構造を持つ大型爆撃機。先に完成したF-117同様、徹底したステルス性を追求している。イージス艦(タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦)よりも高価な価格とメンテナンスの難易度がネックとなり、生産機数は21機に留まっている。 イギリス アブロ ランカスター 5t爆弾トールボーイや10t爆弾グランドスラムでノルウェーのフィヨルドに潜むドイツ戦艦「ティルピッツ」を仕留め、分厚いコンクリートで守られたUボートのドックやトンネル、頑丈な鉄道陸橋を破壊した。1942年以降、イギリスの主力爆撃機として全種7,000機以上が生産されてドイツの都市に対し夜間爆撃を行った。 デ・ハビランド モスキート 全木製の高速爆撃機。敵国ドイツのJu88と同様に万能機として活躍し、夜間戦闘機バージョンや偵察機バージョンも作られた。 アブロ バルカン いわゆる「3Vボマー」の一つに数えられる、巨大で分厚い三角翼にエンジン4基を収めた機体を持つジェット戦略爆撃機。ミサイル技術などの進展により本来の目的である核戦争に使われることなくスクラップにされる予定であったが、その寸前にフォークランド紛争で実戦投入され、数千km離れた主戦場まで相互空中給油を用いて侵攻し爆撃する長距離爆撃作戦「ブラックバック作戦」を敢行し、戦勝のために一働きしたことで一躍有名となった。 大日本帝国 中島 九七式艦上攻撃機 日本海軍の主力攻撃機であり真珠湾攻撃にも参加。800 kg徹甲弾の水平爆撃により戦艦「アリゾナ」を撃沈し、雷撃により多数の戦艦を着底させた。 愛知 九九式艦上爆撃機 ドイツのシュトゥーカと同じく固定脚を採用。大戦緒戦は250 kg爆弾を正確に投弾し多数の連合国艦船を沈めたものの、後続機の信頼性の低さによる配備の遅れから使用され続け、大戦後期にはあまりの旧式化、劣勢状況から搭乗員達からは「九九式棺桶」「窮窮式艦爆」などとまで揶揄された。 三菱 一式陸上攻撃機 九六式と協力してマレー沖海戦でイギリスの新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈し、欧米諸国に衝撃を与えた。開戦直後に台湾基地から発進し、フィリピンの米軍航空機を壊滅させた機体でもある。防弾装備が貧弱なのが欠点で被弾により簡単に火がつき、中期以後の戦闘では大きな被害を出した。 ドイツ国 ハインケル He111 大戦初期のドイツ重爆撃機。イギリスへの侵攻を目指した航空戦バトル・オブ・ブリテンのドイツ側主役。開発当時は高速だったが、バトル・オブ・ブリテン時点では既に旧式化の兆しがあり、イギリス戦闘機に多数撃墜された。結局のところドイツ軍はイギリスに撃退され、英本土侵攻は断念された。 ユンカース Ju87 シュトゥーカ 大戦初期のドイツ電撃戦を支えた有名な急降下爆撃機。急降下時の方向安定性確保のためにあえて旧式の固定脚を採用。急降下時に機速を抑えるためエアブレーキを使用していた。また、敵に恐怖感を与えるために固定脚内にサイレンを装備していた。しかし対英戦で大損害を蒙り、西部戦線からは早々に姿を消したが、東部戦線や北アフリカ、地中海では終戦まで使われ続けた。 ユンカース Ju 88 万能機と呼ばれた高速爆撃機。戦争後半にはやや性能が陳腐化したが、対爆撃機装備の夜間戦闘機バージョンが作られた。 ソビエト連邦 イリューシン Il-2 シュトルモヴィーク(襲撃機)と呼ばれた戦闘攻撃機で、23mm機関砲と爆弾を抱えて戦場上空を低空で飛び回り、ドイツの戦車や装甲車を次々に葬った機体。主要部の構造は13mm鋼板をプレス整形したもので、大抵の機銃弾を跳ね返すと信じられ『空飛ぶ戦車』と呼ばれたが、実際はかなりの損害も出している。派生型が多い。 ツポレフ Tu-16 ソ連初のジェット爆撃機で、主翼の後退角は、内翼部で41度、外翼部で37度となっている。生産機数1,500機でツポレフ製の爆撃機としては戦後最も生産数が多かった。中国人民解放軍で半世紀近くも現役であるH-6は本機の@@ライセンス生産::型。 ツポレフ Tu-95 35度の後退角を持った主翼に、4基の巨大なターボプロップエンジンと2重反転プロペラを備え、現代の亜音速ジェット機にも匹敵する800 km/h以上の速度で飛ぶプロペラ機。旧ソ連崩壊後の現在もロシア空軍で現役にあり、巡航ミサイル発射母機の役を負っている。なお、対潜哨戒機のTu-142や、1960年代に日本航空とアエロフロートとの共同運航でモスクワ-羽田間を飛んでいたターボプロップ旅客機Tu-114は本機の派生型。 ツポレフ Tu-160 アメリカのB-1に対抗して制作され、形状もよく似た可変後退翼の超音速爆撃機で、最大速度はマッハ2。機体規模はB-1より一回り大きく、現在のところ世界最大の実用爆撃機である。生産機数38機。
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