荻生 徂徠とは? わかりやすく解説

おぎゅう‐そらい〔をぎふ‐〕【荻生徂徠】

読み方:おぎゅうそらい

[1666〜1728江戸中期儒学者江戸の人。名は双(なべまつ)。字(あざな)は茂卿(しげのり)。別号、蘐園(けんえん)。また、物部氏出であることから、中国風に物(ぶつ)徂徠自称朱子学経て古文辞学唱え門下から太宰春台服部南郭らが出た。著「弁道」「蘐園随筆」「政談」「南留別志(なるべし)」など。


荻生徂徠

読み方おぎゅう そらい

江戸中期儒者徳川綱吉侍医方庵の子江戸生。名は双、字は茂卿、別号に?擂園等。林春斎林鳳岡に学ぶ。のち柳沢吉保用いられ古文辞学大成した。また私塾?擂園を開いて多く門弟育てた著書は『論語徴』『?擂園随筆』『政談』等多数享保13年1728)歿、63才。

荻生 徂徠 (おぎゅう そらい)

1666〜1728 (寛文6年享保13年)
儒学者日本の儒学を、中国呪縛から解き放った思想家
儒学者江戸出身柳沢吉保仕え五代将軍綱吉学問相手勤めた赤穂浪士の乱では、『擬自律書』により切腹上申柳沢失脚後、職を辞し学問専念古文辞学提唱し門下太宰春台服部南郭らの後才を育てた徂徠登場は、日本儒学独自性確立学問政治分離促す一大転換点となった著書に『政談』『弁道』など多数

 年(和暦)
1681年 (天和元年) 護国寺建立 15才
1682年 (天和2年) 江戸大火八百屋お七火事 16才
1687年 (貞享4年) 生類憐みの令 21
1698年 (元禄11年) 江戸大火勅額火事 32
1702年 (元禄15年) 赤穂浪士討ち入り 36
1703年 (元禄16年) 江戸開府100年 37
1705年 (宝永2年) 御蔭参り流行 39
1707年 (宝永4年) 富士山噴火 41
1718年 (享保3年) 御蔭参り流行 52
1719年 (享保4年) 相対済し令 53
1720年 (享保5年) 江戸大火 54
1720年 (享保5年) 江戸町火消しいろは組設置 54
1722年 (享保7年) 小石川病所設置 56


市川 団十郎 1660年1704年 (万治3年宝永元年) +6
尾形 乾山 1663年1743年 (寛文3年寛保3年) +3
鳥居 清信 1664年1729年 (寛文4年享保14年) +2
八百屋 お七 1666年1683年 (寛文6年天和3年) 0
Sidotti Giovanni Battista 1668年1714年 (寛文8年正徳4年) -2
小川 笙船 1672年1760年 (寛文12年宝暦10年) -6

荻生徂徠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 17:43 UTC 版)

荻生 徂徠(おぎゅう そらい、寛文6年2月16日1666年3月21日) - 享保13年1月19日1728年2月28日))は、江戸時代中期の儒学者思想家文献学者


  1. ^ a b c d e f g 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「kotobank」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  2. ^ a b c d e 髙橋 2011, p. 143.
  3. ^ その弟の影響を受けて、『明律国字解みんりつこくじかい』を著している。
  4. ^ 荻生徂徠勉学の碑”. 茂原市. 2018年12月1日閲覧。
  5. ^ a b c 「荻生徂徠の資料、子孫が寄贈 独自の将棋ルールブックなど150点 東大駒場図書館」朝日新聞デジタル(2022年5月9日)同日閲覧
  6. ^ 以下、子安(2008)
  7. ^ 小島(1994)、子安(2000)
  8. ^ 細川綱利は「十七人の勇者共は御屋敷のよき守神」として、を保存し、切腹した義士の遺髪を分けて頂き供養塔などを建て、永遠に保存し名所として残す事を命ずる(『堀内伝右衛門覚書』)など浅野贔屓であった。のち、諸事情により細川家の態度が変わり、当時の遺構は散逸してしまっている。
  9. ^ 赤穂市発行『忠臣蔵』第1巻
  10. ^ 著作全集・選集によっては「四十七士の事を論ず」となっている文献もあり。
  11. ^ 早稲田大学・谷口眞子近世日本の中期における忠義の観念について-山崎闇斎学派を中心に-」第二章第一節・51頁『WASEDA RILAS JOURNAL』No.4(2016年10月、早稲田大学総合人文科学研究センター)
  12. ^ 太宰春台『赤穂四十六士論』(享保17年)
  13. ^ 第130話落語「徂徠豆腐」”. ginjo.fc2web.com. 2020年3月19日閲覧。
  14. ^ 「峡中紀行」は荻生徂徠全集の何巻に載っているか知りたい。”. 国会図書館 (2012年). 2018年12月1日閲覧。



荻生徂徠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:57 UTC 版)

赤穂事件の人物一覧」の記事における「荻生徂徠」の解説

赤穂浪士裁き関わる。この話が講談落語の「徂徠豆腐になっている

※この「荻生徂徠」の解説は、「赤穂事件の人物一覧」の解説の一部です。
「荻生徂徠」を含む「赤穂事件の人物一覧」の記事については、「赤穂事件の人物一覧」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「荻生 徂徠」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



荻生 徂徠と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「荻生 徂徠」の関連用語

荻生 徂徠のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



荻生 徂徠のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
中経出版中経出版
Copyright (C) 2024 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
江戸net江戸net
Copyright (C) 2024 財団法人まちみらい千代田 All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの荻生徂徠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの赤穂事件の人物一覧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS