いかりや長介
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いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年〈昭和6年〉11月1日 - 2004年〈平成16年〉3月20日)は、日本の男性コメディアン、ミュージシャン(ベーシスト)、俳優、司会者。「ザ・ドリフターズ(略称:ドリフ)」の3代目リーダー。後年は俳優としても活動した。本名:碇矢 長一(いかりや ちょういち)。
注釈
- ^ 同じドリフターズのメンバーであり、2020年3月29日、2022年10月19日にそれぞれ他界した志村けん、仲本工事もいかりやと同様の扱いになっている。
- ^ 志村けんの追悼特番でも流された。
- ^ 小坂一也とワゴン・マスターズが人気をさらった絶頂期は過ぎていた。
- ^ ツイストミュージック(Twist music・英語版 (en) )など楽曲の流行に楽器と奏法も多様化しつつある時代だった。
- ^ おもにパーカッションを担当したジャイアント吉田は当時のプロバンドマンについて「米軍キャンプ、ナイトクラブやディスコの演奏では客のダンスを遮らないノンストップの伴奏を要求され、メンバーが小用などよんどころのない事情から担当を離れる場合には代理をこなせるようフォローに複数の楽器を練習していた(大意)」と述懐、コミック・バンドに限らずテクニックは別としてメンバーは担当以外の楽器を扱う技量を要求された。ミッキー・カーチスら同世代のミュージシャン達も異口同音に証言や著述を残している。
- ^ 先行したクリフ・リチャード&ザ・シャドウズ、ベンチャーズなどは特異な奏法と新型エレキギターと楽器を持って登場し影響は絶大で、こぞって奏法を真似最新機材を取り入れ日本はもとより世界的ブームとなった。日本では「エレキ・ブーム」として、エレキ・インストロメンタル音楽という分野が形成され直後にはビートルズブームを迎え、初期ビートルズの演奏力についてプロミュージシャンからの評価は低いものだったが、親しみ易い楽曲のカバーからアマチュアバンド人口拡大の一助となった。
出典
- ^ “「全員集合」はもう無理。いかりや長介さん死去”. eiga.com (2004年3月23日). 2022年6月24日閲覧。
- ^ いかりや浩一『親父の遺言』幻冬舎、2006年3月1日、21頁。ISBN 978-4344011328。
- ^ あきらめず道を開く姿見せた父「いかりや長介」 長男・碇矢浩一さん「おやじは不器用だけど、かっこよかった」 - 産経ニュース 2015年11月25日11時15分発信、2017年11月3日閲覧。
- ^ “MOVIE DATABASE「容疑者 室井慎次」”. 東宝. 2018年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月3日閲覧。
- ^ 大村崑と生年月日が同じである。
- ^ a b 明日への便り2019年11月2日 TOKYOFM
- ^ “いかりや長介が病床で書いた…志村けんへの思い「親子」のような絆”. withnews (2021年5月20日). 2023年6月29日閲覧。
- ^ 長谷川晶一『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』(白夜書房、2011年)p219。
- ^ 高木ブー 85歳 今だから語る「長さんは僕にだけ、愚痴をこぼした」 文春オンライン, 2018年7月29日
- ^ 週刊平凡1979年3月22日号26頁
- ^ 黒澤浄光. “弔辞 「かならず」 と誓い 「いずれまた」 いかりや 長介”. 仏教人生大学. 2020年1月10日閲覧。
- ^ 小林信彦『日本の喜劇人』(文庫版)新潮社、1982年(原著1977年)、306頁。ISBN 4-10-115804-5。 本書において小林は「ドリフターズがテレビに君臨していた頃の70年代は、昭和20年代の喜劇界の退屈さを思わせる」と述べ、「(ドリフターズについて)あれこれいうのが野暮であろう」とのみ評している。
- ^ いかりや長介、「頸部リンパ節がん」で入院 - ウェイバックマシン(2003年6月5日アーカイブ分)
- ^ いかりや復帰、「踊る~」の舞台あいさつ - ウェイバックマシン(2003年8月1日アーカイブ分)
- ^ いかりや、本格復帰「仕事っていいなあ」 - ウェイバックマシン(2003年8月9日アーカイブ分)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p いかりや長介 - オリコンTV出演情報
- ^ ““いかりや長介さんが死去…72歳、がんに勝てず”. 日刊スポーツ. (2004年3月20日). オリジナルの2016年8月15日時点におけるアーカイブ。 2019年12月20日閲覧。
- ^ いかりや長介さん“遺言”は「仕事頼むよ」 - ウェイバックマシン(2004年3月24日アーカイブ分)
- ^ ““いかりやさん通夜、織田裕二も絶句”. 日刊スポーツ. (2004年3月24日). オリジナルの2004年4月4日時点におけるアーカイブ。 2019年12月20日閲覧。
- ^ 富士パークホテル (2011年9月19日). “長さん小路~いかりや長介氏市民感謝状受賞記念通り~/富士パークホテルのお知らせ・ブログ”. じゃらん. 2018年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月5日閲覧。
- ^ 織田裕二『脱線者』朝日文庫、2012年8月7日。ISBN 978-4022617385。
- ^ 踊る大捜査線 プレミアムトークより
- ^ 『現代日本映画人名事典 男優篇』キネマ旬報社、2012年1月10日。ISBN 978-4873763873。神山繁の項より。
- ^ ぴあBOOK(ムック)『踊る大捜査線 THE FINAL COMPLETE BOOK』ぴあ、2012年8月28日。ISBN 978-4835621319。
- ^ “「踊る大捜査線」和久平八郎と吉田副総監の友情は本物だった!演じた神山繁明かす - シネマトゥデイ”. シネマトゥデイ (2012年9月5日). 2018年5月5日閲覧。
- ^ “小泉孝太郎 理想の姿はいかりや長介さん「その時の自分にうそはつけない”. スポニチ Sponichi Annex 芸能. (2016年1月12日) 2018年5月5日閲覧。
- ^ “小泉孝太郎の生い立ちと経歴、学歴を紹介”. INLIFE. 2018年5月5日閲覧。
- ^ 講談社『週刊現代』2020年11月7日号「あなたがいたから、私は生きてる」とのコーナー内の記事で大村がいかりやとの交流歴をわずかながらも語っていた。
- ^ “いかりや長介さんの葬儀しめやかに”. 日蓮宗新聞. 日蓮宗新聞社. (2004年4月10日) 2020年7月31日閲覧。
- ^ いかりや長介 - オリコンCM出演情報
- ^ “(1)桂三枝(2011年)(2)いかりや長介(1995年)”. NHK (1995年5月12日). 2021年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月31日閲覧。
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