ドリフターズ加入まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:21 UTC 版)
1943年、東京府東京市世田谷区(現:東京都世田谷区)生まれ。5歳の夏の1か月間だけ、母親・寿磨子(1916年〜1980年)の実家・愛媛県新居浜市に住む。ギタリストの父親・平八郎(1915年〜1955年)が癌を患ったため、母親、妹と共に父親の郷里・福島県福島市へ転居し福島で育った。 少年時代には平泳ぎが得意で、中学生の時の全校水泳大会の自由形では他の選手が全員クロールの中、加藤だけが平泳ぎだったのにもかかわらず1着になったというエピソードがある。その後、無線に興味があったことから電気学園福島工業高等学校に入学。 1960年の正月に叔母に会いに上京した際、滞在中に高校中退を決断し、トロンボーン奏者を目指してスターダスターズのバンドボーイに就く。しかしトロンボーンは高額で、容易に入手出来ないことが分かると、捨てておいてと頼まれたドラムスティックを削って再生し、ドラマーのチコ菊池からドラムを1日8時間教えてもらう。その半年後に横浜にいる菊池の兄のバンドのドラマーとして加入。スターダスターズを辞めたのはある日手当ての100円をマネージャーに催促したところマネージャーに100円を投げつけられ、この態度に怒った加藤はそのマネージャーとの喧嘩に発展し、クビになったからである。その後、1961年にドラマーとしてクレージーウエストにメンバー入りし、仲本コージ(後の仲本工事)と出会う。 1962年、碇矢長一(後のいかりや長介)と同時期に、「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」のメンバーに加入した。
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