生活趣味とは? わかりやすく解説

生活・趣味

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)

昭和天皇」の記事における「生活・趣味」の解説

趣味としてゴルフ勧められ1917年大正6年)の皇太子時代よりゴルフ行っていた。当時病弱であり、結核予防するという意味もあったという。皇太子ゴルフに熱心となり、欧州旅行中も行いまた、来日中の英国王太子(のちのエドワード8世国王現在のエリザベス2世女王伯父)と1922年大正11年4月19日プレーしている。妃の良子女王裕仁親王から教えられゴルフ行っている。赤坂離宮に6ホール那須御用邸に9ホール吹上御苑最初4コース、のち9コースゴルフコースプレイした。成績として9コース58,51,54良子女王60という記録がある。満州事変のあとは中止し吹上御苑コースなど廃止された。 生物学研究所の顕微鏡古くなっても買い替えることはなく、鉛筆短くなるまで使いノート余白をほとんど残さず洋服新調にも消極であった不自然なものを好まず盆栽を好まなかった。 天皇皇后皇太子一家食事は、宮内庁大膳課に所属する主厨長ら約50人の料理人担当した工藤極の回想によると、食材御料牧場栃木県)から届けられるほか、カレー付け合わせとしてラッキョウ桃屋製、福神漬酒悦製など市販品使われていた。変わった好みとしては、スルメから骨とゲソ取り除いてオーブントースター焼いてからちぎり、鉢ですり潰したイカ粉」をカレーにかけていた。朝食洋食昼食・夕食和洋交互で、同じ食材調理法(煮る・焼く等)が続かないよう考慮されていた。食事含め他人の手煩わせないよう極力配慮しており、メニューに関して何が食べたいという希望出されることはなく、夜食必要な時のために待機していた宿直にも声がかかることはなかった。 晩年昭和天皇芋類麺類蕎麦)、肉料理天ぷら乳製品チョコレートの順に好物であったとされる月一回の蕎麦大変な楽しみで、配膳されたときには御飯残して蕎麦だけを食べたという。猫舌については、浜名湖焼きたて蒲焼食べて火傷をした逸話が伝わる。このほか、すき焼き好んだと伝わるなど、食に関する逸話非常に多い朝食ハムエッグ食することを好んだという。戦後オートミールドレッシング抜きコールスロートースト2枚朝食晩年まで定番とした。 1964年昭和39年)に下関行幸した際には、中毒恐れがあるからとフグ食べられないことに真剣に憤慨し自分たちだけフグ食べた侍従たちに「フグには毒があるのだぞ」と恨めしそうに言ったという逸話もある。その一方で同所ではイワシなど季節の舌鼓を打ったという。宮中フグ献上され場合も同じ理由食すことを止められときには資格持った調理人さばいたフグ食べるのに何の問題があるのか」「献上した人が逆臣だとでも言うのか」と侍医問い詰めることもあった。しかし、ついに生涯フグ食べることができなかった。 1963年 (昭和38年)、赤坂御所揚げたて天ぷら毒見無し食べたことがある天ぷら神田小川町天政店主政二の手によって、屋台揚げられた江戸前ハゼで、昭和天皇お代わりをする程に気に入ったという。 1926年大正15年5月摂政宮として岡山県広島県及び山口県の3県へ行啓の際、御召となった戦艦「長門」将兵巡検タバコ盆出され甲板で「僕は煙草のまないからタバコ盆煙草呑みにやろう」と、(「朕」ではなく)はっきり「僕」と言うのを当時主計中尉で「長門勤務だった出本鹿之助聞いている。 見学した新幹線運転台気に入り侍従時間告げられてもしばらくそこから離れなかったこともある。訪欧時にフランスでの餌やりに熱中し時間になってその場離れなかったエピソードがある。 スポーツに関しては「幼いときから色々やらされたが、何一つ身につくものはなかった」と発言した昭和天皇自身乗馬が好き(軍人として必要とされたという側面もある)で、障害飛越などの馬術習得しており、戦前はよく行っていた。戦後でも記念写真撮影に際して騎乗することがあった。また水泳古式泳法)も得意で、水球を楽しむ写真残っている。 デッキゴルフやビリヤード好み戦艦「比叡」御召艦にしていた際に侍従相手興じている。乗艦時は無表情だった昭和天皇が、このときは屈託もなく笑って楽しんでいたという。 映画大の好みであった。「ベルリン五輪記録映画民族の祭典』やヴィリ・フォルスト監督の『未完成交響楽』(オーストリア映画)、ディアナ・ダービン主演の『オーケストラの少女』なども鑑賞された」と、戦前海軍侍従武官であった山澄貞次郎海軍少将回想記綴っている。 1975年昭和50年10月31日記者会見で「テレビどのようなものをご覧になるか」という質問対し微笑浮かべ身を乗り出して、「テレビは色々見てはいますが、放送会社競争はなはだ激しいので、今どういう番組見ているかということには答えられません」と微笑みつつ冗談交じり返した記者達はこの思わぬ天皇気遣い大爆笑した。現在では、側近日記明らかになることによってどのような番組見ていたかが明らかになっており、NHK朝の連続テレビ小説『水戸黄門』好きだったとされる。 『おしん』では「その当時女性苦労というものを、察していましたが、当時はあまりよく知らなかった苦労をしていたということは知っていましたけれども、それは非常に大ざっぱ感想しか、その当時承知してませんでした。」と感想述べた。『おしん』の原作脚本手掛けた橋田壽賀子によれば、おしんの誕生年設定はあえて昭和天皇同年明治34年としており、その意図は「昭和天皇ご覧頂くため」であったことに言及している。 テレビ番組に関してはこのほか『自然のアルバム』などもよく視聴した意外なところでは『プレイガール』も視聴したことがあるという。『刑事コロンボ』も好きで、訪米の際には主演ピーター・フォーク昼食会招待しよう希望したという記事もあるが、訪米直前ニューズウィークインタビューでは、国民人気のあることは知っているが観たことはないと答えている。 テレビ被写体になることに関して、『皇室アルバム』のプロデューサー務めた古山光一が「秋田国体行かれたときに、小雨降って侍従が傘を差し出したら、強風で傘が飛び陛下帽子飛ばされ映像もあるんです。戦前なら即NGでしょうが、陛下はそれをご覧になっておもしろ映像だったね』とおっしゃったそうですそういう声を聞く侍従も困るといえません。昭和天皇人間性で、この番組は、救われてきた気がします」と振り返っており、古山天皇皇族動静テレビで報道されることに一定の理解示していた。 好角家として知られる昭和天皇は、当時日本相撲協会理事長春日野清隆が「蔵間大関なります」と語った言葉のちのちまで覚えていたらしく、あるとき「蔵間大関ならないね」とこぼした春日野理事長は「私は陛下に嘘を申し上げましたと言って謝罪しその後蔵間理事長室へ呼んで叱責したという逸話がある。また高見山現役引退表明した頃、日本相撲協会管轄していた森喜朗文部大臣当時)へ「髙見山がなぜ辞めたのかね」「髙見山残念だったろうな」と発言そのことをのちに文部大臣髙見山伝えると高見山は「もったいないですもったいないです」と涙を流したという。

※この「生活・趣味」の解説は、「昭和天皇」の解説の一部です。
「生活・趣味」を含む「昭和天皇」の記事については、「昭和天皇」の概要を参照ください。

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