好角家として
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朝青龍明徳については前述の江川ほどの厳しい批判をしていなかったが、2007年夏の休業中にモンゴルでサッカーをした騒動を期に徹底的な批判に転じる。これについて本人は「即刻クビだと思った」と発言している。朝青龍が3場所連続休場後に出場した2009年初場所では、場所前に「朝青龍は、相撲そのものに執着がないから、1勝2敗で3日目に引退する」と予測していた が、朝青龍は14勝1敗で優勝した。 白鵬翔が2014年の九州場所で32度目の優勝を果たし、大鵬の史上最多優勝記録に並ぶと土俵上の態度を理由に「日本人が期待する横綱像とは悲しいかな離れてきている。立派な横綱だと尊敬されるためには、改めるべきはこれを機に改めていただきたい」と批判した。スポーツジャーナリストの菅谷齊は、「八百長騒動で人気がガタ落ちした大相撲を復活させたのは白鵬人気であり、横綱になってから一度も休場がないというのも特筆すべきことで、角界を支えてきた英雄」として、やくの批判は言いがかりではないかと述べている。 貴乃花光司については、2018年2月6日放送の『バイキング』で相撲協会の八角体制が盤石であったことから「貴乃花親方は現在45歳。すると10年後は55歳になり、相当勉強されて、支持されてくるんじゃないかと思う」と今後の展望に期待するコメントをしていた。しかし2018年12月に弟子の貴ノ岩が付け人暴行で引責引退した件では「今回の貴ノ岩事件では、加害者も被害者も貴乃花部屋出身の力士です。とくに貴ノ岩の手の早さは角界でも有名だった。貴乃花親方の指導が徹底していれば、事件は起きなかったでしょう。力士が望まぬ指導を受ければ不満が溜まり、暴力という負の連鎖になって後輩に被害が及ぶ。先日、テレビのインタビューで親方は『貴ノ岩には今後10年間会わない』と語っていましたが、元師匠としての責任を放棄しているとしか思えません」と元師匠であった貴乃花の責任を厳しく指摘している。 2020年3月場所は2019新型コロナウイルスの影響で「無観客場所」となったが、初日をテレビ観戦した感想として「良かったのは神聖な面が出たところ。横綱土俵入りで、初めて四股を踏む音、すり足の動作の音、化粧まわしと土俵の摩擦音、呼吸音まで聞こえた」と語り「相撲が神事であると見つめ直す機会になった」と述べた。その一方で「良くなかったのは淡々と進んでしまうところ。お客さんの声は、今や熱戦の必要条件になっている」と残念がった。 2020年7月場所前の中川部屋閉鎖騒動の際、部屋閉鎖処分の原因となった中川親方の暴言を弟子が録音していたことに対して「弟子たちがちゃんと録音しているものを残しているという。時代は変わってきつつあるな。なかなかご指導も大変だろうと思いますけど、ちょっとビックリしました」と弟子の対応に驚きを隠せなかった。
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好角家として
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高校時代には、当時校内で優勢だった相撲部に在籍。現在も好角家として有名で、相撲関係者の知り合いも多く、『九代目横綱』という持ちネタもある。また、同曲のモデルである秀ノ山雷五郎の故郷・宮城県気仙沼市が東日本大震災で甚大な被害を受けたことから、発生年の2011年からは被災地で毎年8月に開かれる「三陸海の盆」に関西から参加。被災地での郷土芸能の復活に向けて、参加のたびに「太鼓正」製和太鼓を寄贈している。 貴乃花と親交があり、貴乃花の相撲協会退職後に組織された貴乃花応援会の発起人の一人でもある。その立場から2019年10月に貴ノ富士が二度目の暴力事件による引責引退をしたときにはスポーツニッポンに寄稿し、貴ノ富士が一回目の暴力事件を起こしたことで貴乃花が協会内での立場を失くし、屈辱的な平年寄への降格の末に退職したことは重大な事と指摘した。被害者への謝罪より先に弁護士を立てて協会と争う構えも見せた貴ノ富士の対応について「立つ鳥跡を濁して去って行きました」と厳しく批判している。
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好角家として
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好角家であり、本人の公式サイト上にもプロフィールに明記されている。「ファン歴300年にもおよぶ相撲ファンである」と自称し、寛政年間=西暦1790年頃(魔暦紀元前210年頃)の、実質的な初の横綱とされている谷風と小野川の取組なども当然観て来たと話している。本人は悪魔として好角家になった理由について、「人間と言う生き物が裸一貫になった時に、どれほどの力が出るかと言うのを調査する為」と語っている。
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