ハ40の故障と整備とは? わかりやすく解説

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ハ40の故障と整備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 05:34 UTC 版)

三式戦闘機」の記事における「ハ40の故障と整備」の解説

三式戦闘機日本ではまだ技術成熟していない液冷エンジン、それも比較先進的なものを採用したため、その生産不備故障整備困難性についての指摘多くなされている。渡辺(2002年)などでは三式戦闘機大歓迎した部隊一つも無いとまでされており、同じく渡辺 (2010年) によればエンジントラブル前線部隊三式戦闘機代名詞であるとまで言われている。このため前線では多少性能劣って確実に飛ぶ一式戦闘機二式戦闘機装備し運用することを望む声もあった。 新機材の初期不良多く場合存在する。また当時の滑油、機械油低温での粘性高く、滑油冷却器まわりでは必要なところにオイル供給されないという問題発生したが、これは冷却器能力抑えることで解決した初の実戦部隊である第14飛行団でも燃料噴射装置圧力調整弁過給器故障冷却器や滑油の漏れなどトラブル続出した。特に油圧系統燃料噴射ポンプには故障続出していた。 和泉 (1994年)では流体継手調整不良による出力低下燃料噴射ポンプ故障冷却器等からの油漏れ主な故障とされ、さらに燃料噴射装置調整対す整備兵教育不足などが挙げられている。流体継手によるスーパーチャージャーの無段階変速DB601特徴であるが、これの調整適切でないと、全くパワー出ない。これを地上調整するには、機体固定しオーバーヒート留意しつつ、ホースラジエータをかけて冷却しながら整備作業行った。 また本来DB 601では、クランク軸をはじめとした重要な部品ニッケル入りクロムモリブデン鋼作られていた。しかし、陸軍ハ40エンジン生産にあたり川崎ニッケル不使用指示した当時冶金学遅れていた日本ではニッケル加えないクロムモリムデン鋼は表面微細なヒビ入り品質悪化クランク軸折損事故起こした鈴木 (2012年)によれば当初表面硬化のために高周波焼入れが行われていたが、これは硬度不足で100時間以内表面剥離ししまうた滲炭理に変更されたが、これの不良のため表面剥離する事例多かったとみられ、またクランク軸真円度自体も、トラブル回避するためには1000分の3mm程度精度要求されるが、これについても基準至っていなかったのではないかとしている。ハ140への生産転換迎える頃に至ってハ40気筒部分生産歩留まり50%程度であり、クランク軸生産もはかどらなかった。さらに歴史群像編集部 (2010)によれば、このハ40一般的な1000馬力級の空冷エンジン比べて生産に3倍の工程数を要したとする。 またクランク軸コンロッド接続部ローラーベアリング(ころ軸受け)はローラーが14mm程度の径のものを3列にして用いていたが(複列円筒ころ軸受)、それに用いられ72個のローラードイツ製のものと比べて当に精度低くクランク軸破損繋がった当時日本基礎工業力は、ボールベアリングボール精度でも表面凹凸ヨーロッパSKF社製のものは0.001mm以内収まっていたもの日本製のものは0.012 - 0.015mmと桁違い悪く、(ハ40ではないが)愛知アツタでは、ローラーについては真円度0.002 - 0.003mmのものを選別して利用していた。同様の選別川崎でも行われていたと仮定しても、ほぼ素人である勤労動員多かった当時労働者の質を考慮すると、適切な選別が行われたかには疑問が残る1998年現存していたハ40部品測定してみたところ、ベアリングケージなど他の箇所については精度悪くなかったものの、やはりローラー真円度はよくなく、10 - 22マイクロメートルであったいう。また鈴木 (2012年)は、生産上の主要なネックはこのクランク軸ピン表面剥離であるとし、ローラー形状自体にも(ベアリングローラー単純な円筒形をとってはいない)技術的蓄積足りなかったのであろう指摘するローラー形状不均一性については、愛知アツタでも問題となってたようだ。なお、鈴木(2012年)では、ベンツ製と川崎クランク軸断面顕微鏡写真比較掲載されている。ベンツ製のクランク軸結晶構造均質なマルテンサイトとなっているが、ハ40滲炭部の組織が完全なマルテンサイトではなく焼き入りきらずにトルースタイト析出している。また滲炭深さにも問題があり、クランクベアリング局所的に噛み合うため、硬化深度は1.5mm以上が必要であるが、データでは1mm程度深さから硬度大きく落ちているまた、川崎これまで製作していた水冷エンジン比べ技術的飛躍大きかった点も無視できないとする。 碇(2006)によれば基礎工業力の不足は、全ての部品の質に非常な悪影響及ぼした例え鹵獲した外国機などはエンジンの油漏れ起こすことは滅多になく、しかし日本機は油漏れなどの故障常態化していた。 なお、陸軍へ引き渡す前の川崎での試験飛行では軽量状態であるためそれほど悪いものではなく引き渡し武装はじめとする艤装重量増加したことがエンジン負担をかけトラブル多発原因一つになったようで、ある時期からは艤装相当するバラスト積載した状態で試験飛行行っていた。また1944年晩秋頃にはバラストではなく実際艤装ほどこした「全装備」状態でテストを行うことが常態化していた。なお陸軍側の受領テストでは担当であった佐々木康軍曹(最終階級)は200機ほどの受領テスト担当したが、至極快調と言い得るものは一割にも満たなかったと回想している。 その他材料工作点火プラグなどの部品もとより当時日本電線までもビニール被覆などではなく、糸や紙を巻いて絶縁したもので湿気弱く漏電頻発した。さらに戦争後期には熟練工減少し動員学徒女子挺身隊採用され生産作業当たったこのような質的な労働力低下と無理な増産部品の劣質化につながった整備関し手鏡芸術的に扱わねば点検できない箇所などもあり、1943年暮れには航空審査部飛行実験部長今一策大佐は、三式戦闘機空冷エンジンへの換装進言した。 ラバウルまで三式戦闘機空輸し飛行78戦隊(後述)は1943年5月18日キ61実用状況」で18項目にわたり各種故障報告しているが、その内訳は4月13日から5月10日までに冷却器修理61回、G型冷却器修理98回、E型冷却器修理43回である。特にオイルクーラーの油漏れがひどく、40分から50分の空戦空になる、などといった記述見られ作動800リットル使い尽くしたともされる。第78戦隊68戦隊その後ニューギニア進出するが、発動機不調続いた現地第4航空軍1943年10月中央提出した意見報告書では、三式戦闘機稼働率低さ嘆き空冷エンジン装備する二式単座戦闘機鍾馗配備求めるほどだった。飛行56戦隊では訓練時に事故続発したことから「殺人機」と呼ばれた1944年10月からのフィリピン決戦では多く航空機空輸されたが、九州・沖縄台湾飛行した一式戦闘機落伍率が4%であったに対して三式戦闘機13%にのぼった空冷エンジン不調の例としては誉 (エンジン)搭載した最新鋭機・四式戦闘機脱落率が20%である。この時期にはハ40生産整備技術進歩しており、正規潤滑油でなくヒマシ油稼働させる様なこともできたらしい。油漏れは多いが、確実な整備をすれば十分に扱えるとの証言もあり、特に故障が多い印象はないとするパイロットもいる。また、1944年7月頃のデータによれば十分な整備環境があれば70%程度稼働率維持されていた。この時点での二式単座戦闘機および四式戦闘機稼働率は6割から9割とされている。 しかし帝都東京防空任務とする飛行第244戦隊戦隊長であった小林照彦少佐は、故障の多いエンジンではあるものの、内地での戦闘であったため、修理エンジン交換も容易であった回想している。しかしそれでも、1945年1月3日迎撃戦では、当日一回目の出撃こそ40全機が行えたものの、二回目には25 - 26機、三回目にはたった3機しか出撃できなかった。なおこの日の飛燕損害は8機にすぎず、すなわち残り全て故障という情けなさであった同じく244戦隊第1中隊長生野文介大尉は、第244戦隊整備員慣れているし部品もどんどん供給されるため十分に性能発揮できたとする。また同様に244戦隊所属していた前述竹田五郎大尉も、「オイル漏れとか、故障が多いとか評判悪かった自分乗機についての不都合感じなかった」と証言している。ただし同じく調布展開する18戦隊では1944年春頃には、50機中稼動機は5機と言った日もあった、との証言もある。一方航空審査部実行試験部(以下、航空審査部)でも1944年粗製化の傾向はあるものの十分な整備行えば動作支障はなく、問題整備力の低さであると判断している。 上記のように本土もしくは審査部ではある程度整備が行えたものの、最前線実戦部隊での整備運用過酷な作業であった。さらに撤退の際、時間をかけて液冷エンジン習熟した整備兵最前線残置したことも、稼働率下げた要因一つである。さらに日本整備マニュアル欧米のものに比較して難解で、当時必ずしも学力が高いとは言え自動車など機械類にも馴染みのなかった一般的な新任整備兵にとって少々荷が重かったとの指摘もある。また本機日本陸軍では一式戦闘機四式戦闘機九七式戦闘機に次ぐ3000機以上が生産されのであるが、軍事評論家中には発動機に以上のような大きな問題抱えつつもそれをこれだけの機数生産し続けねばならなかったところに当時日本陸軍航空苦悩見て取れる評するものもいる。 1944年には油漏れ対す生産工程レベルでの抜本的改造講じられた。この処置一時的に生産量落ちており、エンジン無し機体工場に並ぶことが多くなった。これについては#二型(キ61-II改)で後述する。

※この「ハ40の故障と整備」の解説は、「三式戦闘機」の解説の一部です。
「ハ40の故障と整備」を含む「三式戦闘機」の記事については、「三式戦闘機」の概要を参照ください。

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