珣子内親王とは? わかりやすく解説

珣子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 05:40 UTC 版)

珣子内親王(しゅんしないしんのう/たまこないしんのう[注釈 1])は、後醍醐天皇皇后中宮)。後伏見天皇の第一皇女。母は広義門院(西園寺寧子)。北朝からの女院号は新室町院(しんむろまちいん)。


注釈

  1. ^ 「珣」について、白川静字通』および小学館新選漢和辞典』によれば字音は「シュン」[1][2]、『字鏡集』(寛元3年(1245年)以前)によれば字訓は「タマノルヰ」[1]。一方、何に拠ったか明らかではないが、『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』(2015年版)は、音読みを「じゅんし」としている[3]
  2. ^ 三浦論文は珣子 の生日を2月22日としている[5]が理由不明。
  3. ^ 後醍醐と対立した北朝で書かれた軍記物語太平記』では、後醍醐天皇が建武の新政で悪政を行ったので不満が噴出した、と描かれる。しかし、2010年代時点での研究では、悪政説は否定的見解がきわめて強い(後醍醐天皇#評価(研究史))。
  4. ^ 武家年代記』下・裏書は、珣子内親王の立后が行われたこの日、京で「空騒動」(流言飛語による騒動)が起きたとしており、『続史愚抄』もその記述を引き継ぐ[13]。しかし、これが珣子との婚姻に関係があるのかは不明[14]。『大日本史料』編纂者の推測によれば、婚姻とは直接関係なく、足利尊氏護良親王(後醍醐天皇第三皇子)の対立によるものではないか、という[14]。一方、熱田公は、立后と何らかの関係があるのではないか、としている(安田元久編『鎌倉・室町人名辞典』(1985年[15]。三浦龍昭は、いずれとも判断が付かない、している[14]
  5. ^ 三浦論文の原文は「七ヶ月目の着帯の儀」としているが、普通、着帯の儀は妊娠5か月目に行われ[27]、珣子の出産も翌年3月であるため、誤植と考えて訂正。
  6. ^ 『群書解題』によれば、「御産御祈目録」は、鎌倉時代に、第119代天台座主である竹内僧正慈厳と関わりを持つ、延暦寺の僧の誰かによって記されたものではないか、という[26]。異本が幾つかあるが、三浦論文で使用されたのは、『続群書類従』・『門葉記』に収録された版[26]
  7. ^ 現存する版の『太平記』では、禧子への御産祈祷は幕府呪詛の偽装だったと描かれた。しかし、2010年代後半時点で、これは虚構であることがほぼ確定している。詳細は西園寺禧子#『太平記』
  8. ^ 『后宮略伝』は崩御を5月13日とする[8]
  9. ^ 伝・天武天皇「をとめごが をとめさびすも からたまを たもとにまきて をとめさびすも」[55]。珣子を本物の天つ乙女(天女)に喩えると共に、天つ乙女に模した「五節舞姫」に選ばれた女性は、平安時代には天皇の最愛の妻になることもあったので(清和天皇女御藤原高子など)、両方の意を含んでいる。
  10. ^ 『新葉和歌集』では、第2句が「思出(おもひいづ)や」(思い出すこともあるのだろうか)となっている[56]
  11. ^ 春日祭とは、大和国春日大社で旧暦2月および11月の上申日(その月初めのの日)に行われる祭儀[58]。京都から斎女やの朝廷の祭使が派遣された他、藤原氏東宮皇太子)・中宮も使いを出して、を奉献した[58]。春日祭当日、藤原氏の者は、春日大社の「藤の鳥居」をくぐって本殿に進んだ[58]。なお、この後醍醐の歌の「花」は、春日祭の季節的に、藤の花ではなく、おそらく梅の花と考えられる[58]

出典

  1. ^ a b 白川静字通』「珣」
  2. ^ 小学館新選漢和辞典』第八版(2011年)のWeb版(2018年)「珣」
  3. ^ "新室町院". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2020年7月11日閲覧
  4. ^ 『史料総覧』5編905冊584頁.
  5. ^ a b c d e 三浦 2012, p. 519.
  6. ^ a b c d e f 三浦 2012, pp. 529–530.
  7. ^ a b c d e 三浦 2012, pp. 519–520.
  8. ^ a b c 『大日本史料』6編4冊227–228頁.
  9. ^ 『大日本史料』6編1冊80–86頁.
  10. ^ 保立 2018, pp. 280–295.
  11. ^ 亀田 2016, pp. 59–61.
  12. ^ 『大日本史料』6編1冊243頁.
  13. ^ a b c 『大日本史料』6編1冊321–323頁.
  14. ^ a b c d 三浦 2012, p. 521.
  15. ^ 三浦 2012, pp. 521, 532.
  16. ^ jpsearch.go.jp/data/nij04-nijl_nijl_nijl_21daisyuu_0000024773
  17. ^ jpsearch.go.jp/data/nij04-nijl_nijl_nijl_21daisyuu_0000025210
  18. ^ 三浦 2012, pp. 521–523.
  19. ^ 三浦 2012, pp. 521–522.
  20. ^ 三浦 2012, p. 522.
  21. ^ a b 三浦 2012, p. 533.
  22. ^ a b 三浦 2012, pp. 522–523.
  23. ^ 井上 1983, pp. 402–406.
  24. ^ a b 三浦 2012, p. 523.
  25. ^ a b 亀田 2017, pp. 70–74.
  26. ^ a b c d e 三浦 2012, p. 524.
  27. ^ "着帯". 精選版 日本国語大辞典. コトバンクより2020年7月11日閲覧
  28. ^ a b c 三浦 2012, pp. 524–526.
  29. ^ a b 三浦 2012, p. 525.
  30. ^ a b 兵藤 2018, pp. 83–88.
  31. ^ a b c d 三浦 2012, pp. 524–527.
  32. ^ 保立 2018, p. 288.
  33. ^ 三浦 2012, pp. 526–530.
  34. ^ a b 三浦 2012, pp. 526–529.
  35. ^ 三浦 2012, p. 529.
  36. ^ a b c d 三浦 2012, p. 530.
  37. ^ a b c d e f 『大日本史料』6編2冊348–349頁.
  38. ^ 三浦 2012, p. 528.
  39. ^ a b c d e 三浦 2012, p. 531.
  40. ^ 亀田 2014, pp. 49–52.
  41. ^ a b 亀田 2014, pp. 52–54.
  42. ^ 亀田 2014, pp. 54–55.
  43. ^ a b c d 亀田 2014, p. 57.
  44. ^ 呉座 2016, pp. 7–10.
  45. ^ 呉座 2016, p. 13.
  46. ^ a b 『大日本史料』6編4冊52頁.
  47. ^ 兵藤 2018, p. 202.
  48. ^ a b c 所 2000, pp. 116–117.
  49. ^ 津久井 1785, 24コマ.
  50. ^ 深津 & 君嶋 2014, pp. 55–56, 348.
  51. ^ 深津 & 君嶋 2014, p. 348.
  52. ^ 深津 & 君嶋 2014, p. 112.
  53. ^ 深津 & 君嶋 2014, pp. 96, 285.
  54. ^ jpsearch.go.jp/data/nij04-nijl_nijl_nijl_21daisyuu_0000029334
  55. ^ 田辺史郎「五節舞」『改訂新版世界大百科事典平凡社、2007年。 
  56. ^ a b 深津 & 君嶋 2014, p. 96.
  57. ^ 深津 & 君嶋 2014, p. 117.
  58. ^ a b c d 深津 & 君嶋 2014, p. 285.
  59. ^ jpsearch.go.jp/data/nij04-nijl_nijl_nijl_21daisyuu_0000027307
  60. ^ isozaki (2012年9月12日). “吉野の後醍醐天皇⑥”. ディープな吉野の歩き方. 吉野スタイル. 2020年6月18日閲覧。


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