デモ活動 日本でのデモ

デモ活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/10 18:21 UTC 版)

日本でのデモ

21世紀の日本のデモは諸外国に比べると小規模なものとなっている(そもそも参加人数自体が欧米アラブなど諸国に比べ[3] 非常に少ないので混乱もそれに応じて少ない)。

日本の場合警備が厳しく、デモ隊より警備の機動隊の人数の方が多くなることもしばしばあり、さらに機動隊がデモ隊をぐるりと包囲する形で監視していることもしばしばみられる。これにより、日本でのデモ活動では事前計画を超えることが難しく、デモが自然発生的に大規模化する現象が起りにくい。

日本で「デモ活動」(公安条例には「集団示威運動」とあり、「デモ行進」に限定されていないため、「デモ活動」と表現)を行うにあたり、道路上でデモ活動を行う場合は道路交通法77条に基づき所轄警察署長の許可を受ける必要があるほか、デモ活動を行う都県または市が公安条例(正しくは「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」・「多衆運動に関する条例」)を定めている場合はそれに従う必要がある。国会議事堂外国大使館・領事館政党事務所などの周辺部では国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律が適用される地域として指定されている場所があり、その場所では拡声器を用いたデモ活動が制限されている。また破壊活動防止法では破壊的団体に対して6ヶ月間以内の期限と地域を定めてデモ活動を禁止させることができる規定が存在する。

戦前

大正時代の労働者デモ

日本にデモンストレーションという言葉が紹介されたのは20世紀の初めだとされ、示威行為と訳された(現在も「集団示威運動」[4]、「示威運動」[5][6][7]、「示威行進」[8][9] の語が法令に存在する)。

有名なデモや暴動としては、自由民権運動米騒動がある。

終戦~1970年代

終戦後、メーデーが復活し、終戦翌年の1946年には食糧難・物資不足から1千万人餓死説も囁かれ「米よこせデモ」が発生し、暴徒化したデモ隊が皇居に入る血のメーデー事件も起こった[10]。各地で中国共産党式の非合法活動を行って世論の反発を受けた当時の日本共産党1952年の総選挙で一転議席が0になった。党員の一部が暴力を肯定したが、党は1955年その暴力を誤りだったと否定、そして議会による革命路線(民主主義革命)を明確にした。それに反発して以前の暴力による革命路線を貫いた日本の新左翼、暴力革命に向かう人々は日本共産党から離党したが、その後も非合法な暴力事件を繰り返し、日本の左翼衰退の原因となる[11]。日本共産党は、平和を貫く党としての立場、民主主義革命(当然、非暴力)路線を明確に示すため、2003年6月に1971年の改定でも維持した綱領で「君主制の廃止」を「これの存廃は国民の総意によって解決される」に、「自衛隊解散を要求する」を「国民の合意で憲法第9条の完全実施に向かう」と改定している[12]

安保闘争日本社会党やそれを支持する組織は非武装中立を主張して、日本共産党や支持組織は「非合法の軍隊」とする自衛隊と日米安保に基づく米軍を不要としてアメリカが主導する陣営に対抗する「自主的自警組織」を主張して参加、支援した。選挙直前に参加者数は最高潮に達したが、安保条約に反対して闘争支持していた日本社会党と日本共産党は1960年の総選挙で敗北した。安保闘争にも関わらず両党の合計得票は自民党の半分未満で投票率も前回の選挙よりも下がった。次第に第一野党の候補者擁立する選挙区自体が減って、候補者全員が当選しても過半数にならないなど政権獲得や有権者による選挙よりも市民運動やデモを重視する路線になる。2度目の安保闘争直前の1969年の選挙でも有権者全体の支持を獲得出来ず敗北した[13]

ビートルズ来日時に右翼が「青少年を不良化するビートルズを日本から叩き出せ!」というデモを行い警官達と衝突した。その記録映像は「コンプリート・ビートルズ」や「ザ・ビートルズ・アンソロジー」などに使われている。

1970年代~1990年代

1970年代には韓国南ベトナムの軍事政権を打倒して北朝鮮北ベトナムを支援する動きや市民活動が強くなる。ベトナムに平和を!市民連合に代表される市民運動なども起こった。しかし、安保闘争の規模と参加者を越えるものは無くなった。

背景には成田闘争における過激な抗議活動や、日本の新左翼による相次ぐテロ活動によって、安保闘争参加者や好意的に思っていた人々でさえも学生運動や市民運動への考えが変わったことにある。1972年のあさま山荘事件は日本を震撼させ学生運動とデモが急激に衰退させた。日本社会党も途中までは新左翼を評価する発言をしたが、新左翼への世論の嫌悪が強まると離れた。もともと社会党は、成田闘争で党勢拡大のために反対を党の方針と決定、多くの議員が土地を買うなど参加して抗議活動を焚き付けたが、地元の多くが補償で移転を受け入れ、新左翼手動の過激な闘争で反対運動が世論を支持を失うと土地を手放し、最終的に成田空港を利用するようになった。

1972年以後に学生になった世代はしらけ世代と呼ばれ、デモや学生運動を忌避するようになる。安保世代で学生運動家の多数を占めていた大学生も多くが入社後にサラリーマンになって、学生運動やデモから離脱した。安保世代は高卒が圧倒的多数を占めていたため、学生運動を行う「大学生」という存在の多くがこのようにノンポリや別の政党支持者になったことは痛手となった。ノンポリはしらけ世代以降も数多く生まれて、専従活動家など以外がデモに参加しなくなった。組合内部からの闘争路線への支持も激減して、労働運動も下火になる[14]。990年代以降はソ連崩壊による冷戦の終結、それに伴うイデオロギー対決の自由主義陣営の勝利、若者の政治離れ、日本の新左翼の展開した政治的主張の方法への慢性的な反感によって日本におけるデモは更に衰退傾向になった[15]

社会評論家の三浦展は、特に安保闘争以降に選挙よりもデモや市民運動に過度に重視して非武装中立や自衛隊解体を掲げていたのは、支持層の固定と政権獲得放棄して3分の1獲得のみを目指す路線に繋がったと主張している。1970年代初頭まで活動支援や擁護して新左翼を「役に立つ」仲間や支持層と放置したことを批判し、新左翼が広く知られた以降から国内のデモや抗議活動への忌避が国内の主流になったとする[15]

政治運動不遇の時代を活動家として過ごした外山恒一は、連合赤軍よりも革マル派中核派解放派の内ゲバのほうが悪影響が大きかった、また全共闘運動の崩壊と入れ替わりに70年代の左翼シーンを席巻したのが反差別運動であったが、在日朝鮮人でも被差別部落民でも障害者でも琉球民族アイヌ民族でも女性でもない一般男性に許されるのは自己否定のみとなり、衰退は必然だったとする[16][17]

2000年代~

機動隊が警戒する中で行なわれる、中核派系集団による反靖国神社デモ

2003年イラク戦争に対する反戦デモでは数百、数千人規模の抗議がいくつかの都市部であったもの、東京での最も参加者が多かったデモでも主催者発表で4万人など安保闘争には及ばなかった[18]

戦後の日本でデモと言えば、先述の安保闘争や反戦・反核といった左翼リベラル市民団体による徒歩デモや、街宣右翼による街宣車を連ねる反共演説デモが主流だったが、2000年代後半以降は脱原発反改憲の左翼系市民団体や行動する保守と呼ばれる右翼系市民団体はインターネットなどを通じた草の根運動化がそれぞれ進み、従来のデモとは異なり特定の所属組織を持たない一般市民を巻き込んだ徒歩デモが目立つようになった。

1990年代後半頃から、社会に不満を持つ若者は『ゴーマニズム宣言』や『マンガ嫌韓流』を読む風潮ができていた[16]2009年の民主党政権誕生に危機感を抱いた保守層は、ナショナリズムを掲げたデモを次々に実行した。2011年のフジテレビ抗議デモに始まる反韓デモは、竹島奪還デモ、外国人参政権反対デモ日韓断交デモなどと拡散し、2013年には排外主義によるヘイトスピーチ(憎悪表現)を叫ぶデモと、その主張に反対するカウンターデモが行われ応酬することも起こるなど[19][20]、激しさを増した。

2011年福島第一原子力発電所事故がきっかけで同年6月11日に新宿で行われた「6.11 新宿原発やめろデモ!!!!!」は主催者発表で2万人が参加し、反原発デモはその後も2012年7月16日に主催者発表で約17万・警察発表で約7万5千人が参加した「さようなら原発10万人集会」など何度も行われ、毎週金曜日の夜に官邸前で行われたデモでは数万人規模となることもあった(6月29日は10数万人が警察の規制を振り切り国会議事堂正門前から皇居外堀通りに向かう車道を埋めたと伝えられている[21][22][23][24][25][26][27]

2015年前後には特定秘密保護法反対デモ、集団的自衛権反対デモなども各地で行われた。インターネット上でのデモ活動(ハッシュタグ・アクティヴィズム)の運動も起きた。

インターネットによる「動員の革命」の一方、一般社会全体は冷笑主義へと向かっていると言われ[28]、デモに対する嫌悪感も非常に強いものとなっている[29][30][31]


  1. ^ 広辞苑』(第六)岩波書店。 
  2. ^ 青島幸男はこれに抗するために、国会議事堂前で「民主主義の敵、金丸を許すな」と書いたプラカードを掲げて、独り座り込みを続けた事がある
  3. ^ 1995年、「ネーション・オブ・イスラム」の呼びかけによりワシントンD.C.に100万人の黒人が集結した例がある。いわゆる「100万人大行進」。
  4. ^ 破壊活動防止法(昭和二十七年七月二十一日法律第二百四十号)
  5. ^ 人事院規則一四—七(政治的行為)(昭和二十四年九月十九日人事院規則一四—七)
  6. ^ 自衛隊法施行令(昭和二十九年六月三十日政令第百七十九号)
  7. ^ 日本国憲法の改正手続に関する法律(平成十九年五月十八日法律第五十一号)
  8. ^ 国立公園集団施設地区等管理規則(昭和二十八年十月二日厚生省令第四十九号)
  9. ^ 国民公園、千鳥ケ淵戦没者墓苑並びに戦後強制抑留及び引揚死没者慰霊碑苑地管理規則(昭和三十四年五月六日厚生省令第十三号)
  10. ^ 米よこせデモ コトバンク
  11. ^ 「団塊世代の戦後史」p247,三浦展,2007年
  12. ^ 「団塊世代の戦後史」p274,三浦展,2007年
  13. ^ 「団塊世代の戦後史」p249,三浦展,2007年
  14. ^ 「団塊世代の戦後史」p251,三浦展,2007年
  15. ^ a b 「団塊世代の戦後史」p253,三浦展,2007年
  16. ^ a b 外山恒一「学生運動入門 2.歴史篇
  17. ^ 外山恒一「21世紀に残したくない曲
  18. ^ 「団塊世代の戦後史」p273,三浦展,2007年
  19. ^ 激化する「排外」デモ。新大久保で「反排外主義」のカウンターデモと激突 週刊SPA!
  20. ^ 「在日は帰れ!」「レイシストは帰れ!」4.21新大久保反韓デモとそのカウンターを直撃取材 1/5(全5ページ)エキサイトレビュー
  21. ^ 「再稼働反対」叫ぶ20万人の洪水 機動隊車両が官邸突入防ぐ 田中龍作ジャーナル2012年6月30日
  22. ^ 再稼動ノーだ / 官邸前 空前 しんぶん赤旗2012年6月30日
  23. ^ なお、催しにもよるが、主催者発表というのは実数より多く公称されることがある。もっとも、「6・11脱原発100万人アクション」と銘打ち全国に呼びかけられていたこの日のデモは、各地で他の脱原発デモも行われたため、総参加者数はさらに増え、合わせて7万9千人とも伝えられた。またこの前後にも4月10日に高円寺で1万5千人、9月19日に明治公園で6万人規模の脱原発デモが行われた。なお諸外国では数万人規模のデモも頻繁に起こる。例えばイタリアジェノヴァサミットの時に起きた時は25万人の参加者が居た。福島第一原発事故に際しても、ドイツではベルリンなど国内4都市合計で25万人が参加した。『朝日新聞ドイツで反原発25万人デモ 福島事故受け「停止を」 2011年3月26日23時37分
  24. ^ 震災3カ月、各地で脱原発デモ 福島・新宿・フランス… asahi.com(2011年6月11日23時47分)
  25. ^ 大江健三郎さんら脱原発訴え 都心で6万人参加デモ asahi.com(2011年9月19日22時41分)
  26. ^ 6・11脱原発デモ、48%が初参加 ネット・口コミ7割 asahi.com(2011年10月19日12時2分)
  27. ^ さよなら原発「17万人」集う 酷暑の中 最大規模”. 東京新聞 (2012年7月17日). 2013年9月8日閲覧。
  28. ^ 「冷笑主義」に向かう日本人。|RISKYBRANDのプレスリリース
  29. ^ 政治デモ参加者に「近づきたくない」 日本と中国で突出:朝日新聞デジタル
  30. ^ 若者に投票を呼びかける一方で、社会運動への参加は叩く日本の風潮(室橋祐貴) - 個人 - Yahoo!ニュース
  31. ^ 東浩紀が時代の節目に自らを振り返る――「平成という病」 | 特集 | Book Bang -ブックバン-
  32. ^ Fast food workers plan biggest US strike to date over minimum wage Dominic Rushe、ガーディアン2014年9月2日経済面
  33. ^ a b The rapid success of Fight for $15: 'This is a trend that cannot be stopped' S. Greenhouse、ガーディアンアメリカ関連面2015年7月24日
  34. ^ a b California and New York sign into law bill raising minimum wage to $15-an-hour A. Justice, International Business Times, 5 Apr 2016
  35. ^ 米首都、高校生の呼び掛けで数十万人が銃規制要求デモ 過去数十年で最大”. AFP (2018年3月25日). 2018年6月17日閲覧。
  36. ^ 米各地で外出制限に抗議デモ、ミシガンではトランプ氏支持の右派集結”. AFP (2020年4月17日). 2020年4月22日閲覧。
  37. ^ 自宅待機命令への抗議デモ、参加者に医療従事者が対峙”. CNN (2020年4月21日). 2020年4月22日閲覧。
  38. ^ 【コラム】葛藤と分裂の大韓民国”. 朝鮮日報 (2018年11月18日). 2018年11月20日閲覧。
  39. ^ 100万人カタルーニャ独立要求”. 産経新聞 (2018年9月12日). 2019年10月27日閲覧。
  40. ^ バルセロナ、5日目の抗議デモに50万人 衝突激化 ゼネストも”. AFP (2019年10月19日). 2019年10月27日閲覧。
  41. ^ バルセロナで大規模デモ、35万人が平穏に行進 急進派のデモでは警察と衝突”. AFP (2019年10月27日). 2019年10月27日閲覧。





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