デモ暴動化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 05:19 UTC 版)
12月3日正午、総督府前で中国共産党系の住人を中心としたデモ隊とフィゲレド警察署長率いる警官隊との間で小競り合いが発生、警察は警棒や放水車でデモ隊を蹴散らしたが、中国共産党系団体が煽り立てたデモ隊は午後3時になると暴動化した。 裁判所前のアルヴァレス(ポルトガル人で最初に中国到達した人物)の石像を一部破損させたり、セナド広場ではメスキータ(ポルトガル語版)(従来、清朝が管理していた関閘を占領した人物)の銅像が引きずり降ろされ、広場に面する澳門市役所庁舎(現民政総署大楼)や仁慈堂(英語版)が襲撃された。 ついに午後4時半龍嵩街の司法警察署(現・司法警察局)前では、暴動化したデモ隊の警備に不慣れなポルトガル人警察が暴徒化したデモ隊に発砲、2人が死亡した。カヴァーリョ総督は午後6時に戒厳令と夜間外出禁止令を布告した。その後の数日間で、公式記録によれば8人が死亡、212人が負傷、逮捕者は62人に及んだ。
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