韓国における渤海研究とは? わかりやすく解説

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韓国における渤海研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:19 UTC 版)

渤海 (国)」の記事における「韓国における渤海研究」の解説

韓国学界で大祚栄高句麗人であるという認識共通しているが、韓圭哲(慶星大学)は松花江地域靺鞨リーダーとみなし、宋基豪(ソウル大学朝鮮語: 송기호、英語: Song Ki-ho)は高句麗同化した靺鞨合理的に解釈しており、いくつかの情況上大祚栄は靺鞨人であり、高句麗入国後、乞乞仲象から大祚栄に至るプロセス経て高句麗過程進行したものであり、従って、大祚栄靺鞨高句麗人と解釈するのが妥当であり、このことが大祚栄高句麗への帰属意識有する素地となり、後に渤海建国する基底となり、大祚栄はもともと粟末靺鞨人であり後に高句麗編入された、純粋な靺鞨ではなく純粋な高句麗人でもなく、区別をつけがたい中性的存在であり、高句麗への帰属意識有する靺鞨高句麗人と述べている。また、宋基豪は以下の主張をしている。 ひとことで「渤海高句麗であった」というのが教科書をはじめ、われわれの歴史書における渤海叙述態度だ。渤海高句麗遺民が建て、彼らが政権枢軸をなし、渤海文化高句麗文化継承したというのである今まで何気なく聞いてきたこの言葉をよく注意してみると、どこか異常だ新羅高麗文化言及するときは、その文化自体特性叙述するのに、渤海だけは高句麗的であるなどと、二百余年間、王朝維持しながら、どうして高句麗的な生だけを生きてきたといえるだろうか。これをめぐって講義時間に、もし渤海人たちがこの言葉聞いたら、泣いてしまうだろう冗談言ったりもした。渤海人たちは、彼ら自身文化と生を営み、その中に高句麗的なものであれ、靺鞨的なものであれ、あるいは、またちがう要素なども入っていたというのが正しいのでないか。しかしながら研究者たちの間ですら、渤海文化そのような固有の文化宿っていたという事実がいまだに認識されていない。今ではすでに常識になっているように、渤海多数種族構成され国家で、渤海領土は現在、多数国家分かれている。渤海ありのまま解釈するには、それほど複雑な変数介在している。中国では中国史として、ロシアではロシア史として、韓国では韓国史として主張していながら中国ロシアでは靺鞨住民視覚から解釈するのに反して韓国では高句麗遺民視覚から接近している。しかし韓国ではすべてのものが高句麗的だという説明ならざるをえない中国ロシア態度正しくないように、われわれの態度また、あまりに民族主義的視覚固持しているのであるこのような我田引水的な態度からぬけだして渤海史を眺めてみるとき、はたしてその実態はどうなるだろうか渤海高句麗遺民靺鞨族が主軸をなしたのであれば高句麗延長線眺めることもできるが、多数占めている靺鞨族の歴史からも眺めうる余地十分にある。靺鞨族は後に女真族となったが、今は満州族呼ばれているのであるから、かれらの祖先歴史でもある。(中略)私がアメリカ滞在したときも韓国歴史学あまりに民族主義的だという話をしばしば聞いた。これに共感した面もあったが、その一方で、われわれの措置そうするしかないという事情を理解させなければならないアメリカ学生ナショナリズムといって浮かんでくるのはなにかと聞いてみたら、ファシズムだという答え返ってきた。第二次世界大戦体験したように、民族主義強者攻撃的な武器使用された。それが西欧的な民族主義観念だ。しかし、われわれの民族主義はふたつの強大国のはざまにある小国として、最小限生存のための防御的性格をおびたものであって、その性格はまったくちがう。われわれの教科書あまりに民族主義的だと批判し渤海史の叙述もそうであるといいつつ、その一方で民族主義擁護する発言してしまい、すっかり矛盾した格好になってしまった。偏狭な民族主義史観克服しなければならないのは当然であるが、西欧観念追従して民族主義あたかも犯罪のように扱うような態度もやはり排撃なければならない。われわれは今、このような両極の間を無事に通過しなければならない危険な航海路に立たされているのである。 — 宋基豪、民族主義史観渤海歴史批評58 金東宇(朝鮮語: 김동우、国立春川博物館英語版))は、三韓統一は、私たち民族最初統一であり、私たち民族一つ共同体形成し民族文化基礎用意した歴史的に大きな意義を持つと評価されてきたが、この過程で唐という外勢に介入され高句麗の全領土継承できなかったことは、その限界として指摘されており、新羅三韓統一して30年後に高句麗遺民中心とする渤海建国はこれらの限界補完するのである述べている。 李鍾旭朝鮮語: 이종욱、西江大学)は、渤海には高句麗人が多数暮らし渤海高句麗伝統受け継ぎ、さらに粟末靺鞨人である大祚栄高句麗将軍として勤務したことがあるので新し王国建国する情報と力があったが、そのような渤海に住むようになった高句麗人は、朝鮮・韓国人を形成した源流からはかけ離れた韓国との連続性がない集団だと批判したまた、李鍾旭は「渤海新羅とともに南北国時代として朝鮮史組み込んだのは、いくつかの面で時代的産物であり、一つ世紀的な喜劇考えられる」として、「渤海中国史でもなく、朝鮮史でもない靺鞨族の歴史である」と主張している。 李孝珩(朝鮮語: 이효형、釜山大学)は、渤海朝鮮史であるという韓国人論理欠陥がないかを省察する必要があり、「沿海州渤海王城に比肩されるほどの規模城跡発掘された」という報道とともに、「渤海高句麗継承したことを証明する城跡発掘したところ、中国東北工程対抗する決定的な遺跡である」という報道研究者コメントがあったが、果たして妥当か疑問であり、この城跡遺跡・遺物高句麗文化特色持っており、渤海領域渤海高句麗継承関係を検証するうえで意義を持つのは事実であるが、渤海王城というより、地方官庁建物推定するのが事実近く、さらに、これをすぐに東北工程結び付けるのも望ましくなく、韓国人は、東北工程過剰に敏感に反応しすぎているという批判の声にも耳を傾け必要がある述べている。 尹世哲(英語: Yun Sei-chul、朝鮮語: 윤세철、ソウル大学)は、渤海朝鮮史編入することを再考しなければならないという見解明らかにしている。 チョルヒ(朝鮮語: 박철희、京仁教育大学)は、韓国歴史教科書過度に民族主義的叙述されており、「高句麗渤海多民族国家だったという事実が抜け落ちている。高句麗領土拡大異民族との併合過程であり、渤海高句麗遺民靺鞨族が一緒に立てた国家だが、これについての言及が全く無い」「渤海高句麗遺民靺鞨族が共にたてた国家だというのが歴史常識だ。しかし国史を扱う小学校社会教科書には靺鞨族に対す内容全くない渤海高句麗との連続線上だけで扱われている」と批判している。 金翰奎(朝鮮語: 김한규、西江大学)は、渤海中国国家でもなく、朝鮮国家でもなく、遼東出現成長し遼東支配した遼東の国という第3歴史共同体歴史であると主張している。この主張に対して、現在遼東という歴史共同体存在しないため、遼東史の成立疑問を呈する意見もあり、「学問的に創作され仮想歴史」という批判もあるが、遼東史は現在は存在しなくても、過去には厳然と存在した再反論している。 송영현(西江大学)は、「『三国遺事』は、渤海靺鞨別種としており、つまり『三国遺事』渤海靺鞨別種とみており、これは『三国遺事』記述した一然渤海靺鞨とみていることを意味している。中国人高句麗東夷伝扱い靺鞨及び渤海北狄伝で扱っており、当時中国人渤海高句麗同一視していないことをを意味する。そして『三国遺事』大祚栄粟末靺鞨酋長であることを明らかにしている。従って、高句麗建国勢力高句麗遺民だけではなく靺鞨族になる。…『謝不許北国居上表』の内容からすると、少なくとも新羅人である崔致遠渤海人を同民族だと考えていなかったように思われる。つまり、渤海高句麗だったかも知れないが、新羅人渤海人歴史共同体意識共有していない」と述べている。 金基興(朝鮮語: 김기흥、英語: Kim, Kiheung、建国大学)は、近年韓国歴史学界では、大祚栄を「粟末靺鞨高句麗人」と見る見解提示されており、大祚栄出自純粋な高句麗人と積極的に主張していないのが実情であると述べている。 韓圭哲(朝鮮語: 한규철、慶星大学)は大祚栄粟末靺鞨とみなし、粟末靺鞨松花江付近に住んでいた高句麗地方住民定義して大祚栄粟末靺鞨高句麗人としている。 李基白朝鮮語版)(朝鮮語: 이기백、西江大学)と李基東朝鮮語: 이기동、東国学校)は大祚栄を「夫余高句麗人」としている。 渤海朝鮮の歴史編入することを望む韓国人意見反映し韓国歴史教科書改訂する毎に渤海史の比重高めており、2002年第7次国定教科書改訂国史』では、統一新羅南国渤海北国述べられている。これは、既往研究成果から導き出され結論ではなく尖鋭歴史論争反対給付としてである(東北工程への対応)。 韓国歴史教科書記載されている「渤海朝鮮の歴史である」という根拠は以下である。 渤海の建国者である大祚栄高句麗別種である。 新羅渤海を「北国」あるいは「北朝」と称した事実から、渤海新羅を「南国」あるいは「南朝」と称した推定でき、新羅渤海相互に南北国」あるいは「南北朝」という概念有しており、新羅渤海南北分裂しているが、それは異常な状態であるため、最終的に統一されるべき同族であるという認識内包していたと解釈できる渤海滅亡後10万程度渤海遺民高麗王朝帰属し背景には、高麗王朝渤海人血族認識していたからである。 渤海墓制住居跡都城跡、出土遺物高句麗との継承関係を明確に示しており、渤海高句麗継承国であると認められる韓国歴史教科書記載されている「渤海朝鮮の歴史である」という根拠問題点として、송영현(西江大学)、金翰奎(朝鮮語: 김한규、西江大学)、李鍾旭朝鮮語: 이종욱、西江大学)は以下を指摘されている。 「渤海朝鮮の歴史である」とする根拠前提である大祚栄を含む渤海支配層高句麗人であるという血統的理由鑑みると、燕人である衛満統治した古朝鮮は、中国の歴史編入せねばならず、渤海獲得することと引き換えに、古朝鮮中国差し出結果を招くという大きな落とし穴がある。 新羅渤海を「北国」と称したとする根拠である崔致遠の『謝不許北国居上表』を命名したのは崔致遠ではなく、『謝不許北国居上表』を文集入れて整理した後代人(『東文選朝鮮語版)』の撰者など)である。『三国史記』新羅本紀·元聖王「(六年)三月。以一吉飡伯使北國。」、『三国史記』新羅本紀·憲徳王「(四年)秋九月。遣級飡崇正使北國。」という記事も『三国史記』を編纂した高麗王朝人の国認識であり、新羅人国際認識ではない。 渤海朝鮮の歴史或いは中国の歴史とみるのではなく遼東地域の歴史とみなす必要がある近代以前遼東地域が「中国一部」とみなされていないという事実は、新羅渤海を同じ歴史共同体みなしてないように、中国遼東地域を同じ歴史共同体として認識していないという意味となり、遼東地域において誕生·消滅した国家は、中国及び朝鮮概念含まれないため、中国の歴史及び朝鮮の歴史ではなく遼東地域を独自の歴史共同体とする観点からみると、渤海はこの範疇議論されなければならない渤海朝鮮の歴史一部であるが、朝鮮の歴史における正統性である統一新羅と渤海対等みなして並列するのは妥当ではない。こうした見解初め提起したのは李氏朝鮮実学者である安鼎福朝鮮語版)の『東史綱目朝鮮語版)』であり、そこには「渤海我が国歴史記録するには当たらない。しかし渤海高句麗故地興ったものであり、か我が国境域接していた。その意義まことに密接である」とあり、こうした観点得恭(朝鮮語版)の『渤海考』にもみられ、「高麗南方新羅旧領はすべて領有したが、北方渤海旧領はほとんど領有できず、女真契丹のものとなってしまった。この時に当たって高麗がすべきことは、早急に渤海歴史編修することであり、これを以て女真および契丹交渉して渤海旧領返還求めたならば、いとも簡単に、土門以北鴨緑江以西領有できたであろう」とある。

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