韓国における曇徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 09:20 UTC 版)
韓国では、法隆寺金堂壁画は曇徴の手によるものと主張されることがあり、『グローバル世界大百科事典』や『韓国民族文化大百科事典』にも記述されており、韓国の歴史教科書もそのように教えている。韓国の歴史教科書は「高句麗もたくさんの文化を日本に伝えてあげた。高句麗の僧侶彗慈は聖徳太子の師であり、曇徴は紙、墨、硯を作る技術を教えてあげ、法隆寺金堂壁画も彼の作品として知られている」と記述している。しかし、それを支持する史料は一切なく(また現在の法隆寺は7世紀後半に再建されたものである)、俗説である。勝岡寛次は「韓国お得意の『ウリジナル』歴史も登場する。…確たる歴史資料がないため作者不明とされているのをいいことに金堂壁画が朝鮮人の作だとする手前勝手な主張には開いた口が塞がらない」と評している。
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