過去のおもな出来事とは? わかりやすく解説

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過去のおもな出来事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 07:25 UTC 版)

モナコグランプリ」の記事における「過去のおもな出来事」の解説

1929年 - 初開催ブガッティ乗るウィリアム・グローバー=ウィリアムズ英語版)が優勝し、のちにサン・デボーテ(第1コーナー)に彼の銅像立てられた。 1950年 - F1世界選手権開幕2戦目として開催1周目ブラインドコーナー多重事故発生したが、優勝したファン・マヌエル・ファンジオはコースサイドの群集動きから危険を察知し接触回避した1952年 - スポーツカーレースとして開催トンネルでの事故負傷したルイジ・ファジオーリ入院中に死亡1955年 - この年以降はF1の選手権として開催されるアルベルト・アスカリマシンシケイン付近海中転落したが、無事救助される1961年 - スターリング・モスフェラーリの2台を振り切り、モナコ通算3勝目達成モスレースキャリアにおいてベストレースのひとつにあげられる1963年 - グラハム・ヒルモナコ初優勝以後1964年1965年1968年1969年と5勝を獲得し、「ミスターモナコ」と呼ばれる1965年 - ポール・ホーキンス(英語版)のマシンアスカリ同様にシケインから海に転落その後無事救助された。 1966年 - エンジン最大排気量が3リッター変更され最初のレースとして開催完走認められたのは僅か4台で、2019年現在でもF1最少完走台数記録保持している。 1967年 - ロレンツォ・バンディーニマシンシケイン炎上。バンディーニは火傷により3日後に死亡1970年 - 最終ラップ最終コーナージャック・ブラバム痛恨スピン喫しヨッヘン・リント大逆転優勝1982年 - 終盤上位次々脱落しリカルド・パトレーゼがF1初優勝1984年 - 大雨により赤旗終了。ルーキーアイルトン・セナとステファン・ベロフ追走注目される。またこのレースセナは初のファステストラップ記録している。 1988年 - トップ独走中のセナポルティエ(第8コーナー)で単独クラッシュ1992年 - ナイジェル・マンセルが1位、セナ2位走行していたが、レース終盤マンセルタイヤ交換2位後退してセナが1位に。ピットアウトしたマンセルセナ猛追するモナコGP史に残るデッドヒート展開したが、セナ抑え切って優勝アクティブサスペンションによる圧倒的な競争力誇ったウィリアムズマシン制した大金星1993年 - セナモナコGP5連覇並びにヒル記録塗り替えるモナコ通算6勝目達成1994年 - 前戦サンマリノGP事故死したセナローランド・ラッツェンバーガーへの哀悼の意表して1・2番グリッド空席とし、路面に両ドライバー母国国旗ペイントした。予選中、カール・ヴェンドリンガーシケインバリア激突一時意識不明となる。ミハエル・シューマッハ自身初のポールポジションからモナコGP制覇1995年 フリー走行マシンストップしたために、井上隆智穂乗車しながらロープ牽引されている最中、突然飛び出してきたオフィシャルカージャン・ラニョッティ運転していた)に衝突されマシン横転したその様子をモニター見ていたシューマッハ大笑いしたまた、そのシューマッハドライブによりルノーエンジンが念願モナコGP制覇達成1996年 - 雨中乱戦オリビエ・パニスがF1初優勝リジェ搭載された無限エンジンにとってもF1初優勝チェッカー受けたのは僅か3台で、完走扱い含めても7台のサバイバルレースとなった2004年 - ルノーヤルノ・トゥルーリ自身初のポールポジションからF1初優勝。ルノーエンジン9年ぶりのモナコ制覇(ルノーワークスとしては初)。またこのトゥルーリ以降モナコGP初優勝達成したドライバー2019年モナコGP終了時点では出ていない。 2006年 - 予選中、シューマッハラスカス(第17コーナー)に故意マシン停め後続アタック妨害したとして予選記録無効とされる。(俗に言う「ラスカス・ゲート」) 2007年 - ワン・ツー・フィニッシュしたマクラーレンチームオーダー疑惑発生。(チームオーダー2010年まで禁止だった) 2008年 - 決勝レースフロントロウ独占したフェラーリの2台は奮わず、3番スタートルイス・ハミルトン序盤タイヤパンクさせるミス挽回しモナコGP制覇一時非力フォース・インディア表彰台目前の4位まで浮上する活躍見せたエイドリアン・スーティルだったが、キミ・ライコネン追突されリタイヤ男泣き2009年 - この年台風の目となったブラウンGPがこのGPでも危なげなくワン・ツー・フィニッシュ決めるが、優勝したバトンモナコしきたり知らず前述珍事起こす2010年 - レース終了直前に2台のマシン衝突によりセーフティカー入りセーフティカー先導レース終了することに。しかしこの年セーフティカー退出時のルール変更されセーフティカーピット入口ライン越えた時点から追い抜きが可能となっていた。この年メルセデスから復帰したシューマッハはこれを利用し最終ラップセーフティカー退出するや否やコントロールラインまでのわずかな間に前のフェルナンド・アロンソオーバーテイク。しかしこれは明らかなルール違反20加算ペナルティ受けた。この一件セーフティカー退出時のルール再考されるきっかけとなったまた、決勝レース単独クラッシュしたルーベンス・バリチェロ苛立ちのあまり、マシンから出る際にステアリングホイールコース上に投げ捨て、危険行為高価な代物粗末に扱ったことで非難された。 2011年 - 予選Q3ザウバーセルジオ・ペレストンネル出口バランス失いヌーベルシケイン入口バリア高速衝突マシン大破ペレス脳震盪起こして決勝レースと次戦カナダGP欠場しカナダGPではペドロ・デ・ラ・ロサ代役務めたセバスチャン・ベッテルモナコGP制覇2013年 - メルセデスニコ・ロズベルグ優勝し、父ケケ・ロズベルグ1983年優勝してから30年越し親子2代でのモナコGP優勝達成2014年 - 予選Q3終盤ロズベルグミラボー(第5コーナー)でオーバーランしてエスケープロードにマシン止めイエローフラッグ振られる。これによりアタック中だったハミルトンアタック断念ロズベルグポールポジション獲得し決勝ロズベルグポール・トゥ・ウィン飾り2連覇するも物議を醸す2015年 - レース終盤に2台のマシン衝突によりセーフティカーが入る。ポール・トゥ・ウィン目指していたハミルトンは、後続ロズベルグベッテルもこのタイミングピットに入ると考えタイヤ交換のためピットインしたが2台はステイアウト、なんと戻った場所は彼らに続く3番手の位置だった。ハミルトンはこの自滅によって3位レース終えロズベルグ図らずもF1史上4人目モナコGP3連覇達成した2016年 - このGP改良型のルノーパワーユニットを積んだレッドブルダニエル・リカルドチーム久々かつ自身初のポールポジション獲得の中スタートした決勝このまま優勝かと思われた。しかし上がってきた終盤2位ハミルトンタイヤ交換ウェットからウルトラソフト)を見たレッドブル陣営リカルド交換タイヤ直前で「ソフト」から「スーパーソフト」に変更、しかしガレージ適切に情報伝達されず、リカルドピットインした時にタイヤ用意されていなかった。このピットでのタイムロスによりリカルドハミルトン順位明け渡すとなって2位レース終え怒り失意を口にした。 2017年 - 予選ライコネン自身2008年フランスGP以来ポールポジション獲得しフェラーリフロントロウ独占決勝ではベッテルライコネン逆転して優勝。これは自身にとって6年ぶりのモナコGP優勝チームとしては2001年以来16年ぶりのモナコGP優勝、及び2010年ドイツGP以来ワン・ツー・フィニッシュとなった2018年 - コースレコード塗り替える走り自身2度目ポールポジション獲得したリカルドだったが、決勝では19周目でMGU-K故障により180馬力失い回生ブレーキが効かなくなったことに伴うリアブレーキの加熱、その上柔らかいウルトラソフトタイヤでロングラン強いられるという苦境に立たされた。しかし手負いマシン逃げ切って優勝し2016年雪辱果たした2019年 - メルセデス重役務めていた元F1世界王者5月20日亡くなったニキ・ラウダをF1全体追悼決勝スタート前にドライバー達は彼のトレードマークだった赤いキャップ着け黙祷し、メルセデス特別に1戦限りの赤いハロを2台のマシン着け臨んだ決勝ポールからスタートしたハミルトンチーム選択ミスにより終盤タイヤ使い果たしていたが、マックス・フェルスタッペン猛追辛くも抑え切り優勝フェルスタッペンは5秒加算ペナルティで4位に降格)。自身メルセデス引き入れてくれたラウダ死去人一倍ショック受けたハミルトンにとっては、ラウダ捧げる特別な勝利となった2020年 - 1月下旬より新型コロナウイルス感染世界拡大し各国多くスポーツ大会中止する決断が行われた。F1も例外でなく、当初計画上の第4戦に開催予定であった中国GP開催延期のみにとどまっていたが、開幕戦オーストラリアGP中止きっかけ5月までに開催されるレースはすべて延期決定した。そして3月19日(UTC)、当初延期とどまっていたモナコGPだったが、主催者今年レース中止にすると発表。そのため、1955年F1レースとして始まって以来66年ぶりの開催中止となった2021年 - フェラーリシャルル・ルクレール母国レース自身初、チームとしても久々ポールポジション獲得した予選最終アタッククラッシュギアボックスには損傷はなかったがドライブシャフトトラブル出て決勝スタートできなかった。ポールシッター不在となったレースフェルスタッペン支配しホンダ1992年以来モナコGP優勝もたらしたメルセデスハミルトンが奮わずボッタスがリタイアしたことで、自身及びレッドブル・ホンダ体制になってから初のドライバーズ・コンストラクターズの両方でポイントリーダーとなったリタイアしたボッタスだが、ピットでのタイヤ交換の際にホイールナットの角をホイールガンで削ってしまい(俗に言う「なめる」)、ホイール外せなくなるという前例の無いトラブル見舞われた。そのためマシン一度イギリス送り返されファクトリーホイールを外す作業が行われた。 2022年 - の中スタートした決勝レース26周目にハースミック・シューマッハがプールサイドシケインで単独クラッシュマシン大破しリヤセクションが離断した。低速コースとしては異例損壊状況であり、ドライバー達はこれを深刻視し検証対策求める声を上げた予選フロントロウ独占したフェラーリだったがピット戦略度重なる混乱によりレッドブル先行許し前年移籍したペレスモナコGP勝利

※この「過去のおもな出来事」の解説は、「モナコグランプリ」の解説の一部です。
「過去のおもな出来事」を含む「モナコグランプリ」の記事については、「モナコグランプリ」の概要を参照ください。

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