過去のしょうどしま丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 03:40 UTC 版)
「しょうどしま丸」の記事における「過去のしょうどしま丸」の解説
第七十一玉高丸→第八しょうどしま丸 1977年竣工。642総トン、全長60.1m、幅14.0m、出力2,000馬力、航海速力12.0ノット(最大14.8ノット)。 旅客定員480名。車両積載数:トラック(8t換算)22台。四国ドック建造。 1989年、船名を「第八しょうどしま丸」に変更。1990年、中華人民共和国に売船。 第七十五玉高丸→第一しょうどしま丸 1979年12月竣工・就航。「第七十一玉高丸」(前述)と同型船。 1989年、「第一しょうどしま丸」に変更。1990年、中華人民共和国に売船。 第七十七玉高丸→第八しょうどしま丸 (初代) 1980年竣工。「第七十一玉高丸」(前述)と同型船。 1990年、「第八しょうどしま丸」 (初代)に変更。1993年、中華人民共和国に売船。 第七十八玉高丸→第八しょうどしま丸 (2代) 1982年竣工。「第七十一玉高丸」(前述)と同型船。 1992年、「第八しょうどしま丸」 (2代)に変更。1998年、パナマに売船。 第八十一玉高丸 (初代)→第八しょうどしま丸 (3代)→第八十玉高丸→第五しょうどしま丸 (2代) 1988年11月竣工、同年12月就航。698→828→833総トン、全長73.0m、幅14.3m、出力2,600馬力、航海速力13.7ノット(最大14.7ノット)。 旅客定員480名。車両積載数:トラック(8t換算)19台。讃岐造船鉄工所建造。 高松・宇野航路では共同運航相手の津国汽船(本四フェリー)が運航を担当していた(2009年4月1日をもって当航路から退役)。 船名は、1997年、「第八しょうどしま丸」 (3代)に変更し岡山・小豆島(新岡山港 - 土庄港)航路へ。2004年、「第八十玉高丸」に変更し宇高航路に復帰。2009年、岡山・小豆島航路再転用に先立ち「第五しょうどしま丸」(2代)に。 2012年3月20日にインドネシアに売船。「MASAGENA(マサゲナ)」に改名され尾道港から同国へ回航中の同3月26日、鹿児島県屋久島沖で機関室に浸水し電源喪失により自力航行不能に。インドネシア人乗組員12名は第十管区海上保安本部に救助された。 第一しょうどしま丸 - フェリー2000年9月25日竣工、同日就航、999総トン、旅客定員490名。 全長68.26m、幅14.3m、深さ3.69m、主機:ニイガタ 6M30BFT×2 2646kW、航海速力13.5ノット、最高速力15.6ノット。 車両積載数:トラック(8t換算)20台。讃岐造船鉄工所建造。 高松⇔宇野航路に就航。 2017年3月10日の新造船しょうどしま丸就航により、高松⇔小豆島(土庄)航路での運航を終了。 2017年3月13日の第八十五玉高丸の引退により、高松⇔宇野航路に就航。 宇野航路に転じたのちも側面に「Olive Line」「オリーブしまちゃん」が残され土庄航路時代そのままの外観であったが、2017年11月に改装、玉高丸を彷彿させる「四国フェリー」のロゴと「うどん県マーク」が描かれた。ただし赤いダミーファンネルの側面は玉高丸にあった四国フェリーのSFマークではなく依然としてオリーブのイラストが描かれたままである。そして、2019年12月16日の宇高航路休止に伴い、一線から退く。現在はタイに売船され「SEATRAN FERRY 14」となっている。
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