自由法論による法の社会化とその後の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 02:16 UTC 版)
「法解釈」の記事における「自由法論による法の社会化とその後の進展」の解説
ここにおいて、イェーリングは、進化論の影響の下、法の実践的・目的的・創造的性格を強調しつつ(目的法学)、自身を始めとする従前の法解釈学を概念法学と名づけてその没価値性・形式性を批判したために、大陸法学は一大転機を迎える。イェーリングの主張は、カントロヴィッチをはじめとする法学者達によって継承・推進・発展せられ(自由法運動)、法の文言のみからでは導かれえない国民ないし臣民の自由保障や権利の実現を進めようとする、目的的・実践的なものとして私法公法を問わず各国に大きな影響を与えた。ここでは、立法者が予定していなかった問題についてまで、既存の成文法における法的三段論法の形式に則った不自然な概念の論理操作のみに拘泥した処理をするのではなく、裁判の具体的妥当性を実現するために、制定法の不完全(欠缺)を正面から認め、司法を信頼して裁判官の自由な法創造に委ねることによってこれを補うべきことが強調された。そこで、これを自由法論という。成文法以外の法源を正面から肯定する前述のスイス民法1条は、この自由法運動を受けたものであり、自由法論の集大成とみなされている。 文字上又は解釈上此法律に規程を存する法律問題に関しては総て此法律を適用す。此法律に規程を存せざるときは裁判官は慣習法に従ひ慣習法も亦存在せざる場合には自らが立法者たらば法規として設定したるべき所に従ひ裁判すべし。前項の場合に於て裁判官は確定の学説及び先例に準拠すべし。 — スイス民法典第1条 何よりも、自由法論最大の功績は、倫理的・政治的な主観的評価を厳しく排除して法解釈の客観性を保つことに腐心した従前の註釈学派や概念法学に対し、社会統制の技術としての法解釈の実践的側面を明らかにし、法社会学の出現を促したことにあると考えられている。また、立法上または解釈上、過失責任主義を修正して無過失責任主義を採用する傾向や、信義誠実の原則、権利濫用理論による法解釈理論、民事訴訟法における職権探知主義の採用や刑事訴訟法における起訴便宜主義の明文化、労働法や独占禁止法、社会保障法といった社会法の制定等によって、近代概念法学が守ろうとした個人の自由や所有権の絶対性を制限・修正し、自由競争の行き過ぎに伴う弊害を積極的に是正しようとする一連の傾向も、このような流れの中で理解することができる。 詳細は「福祉国家論」を参照 自己の権利を行使し及び自己の義務を履行するに当りては誠実及び善意を以て行為せざるべからず。権利の明白なる濫用は法律の保護を受くることを得ず。 — スイス民法典第2条 もっとも、イェーリングによると、このような法の社会性の強調は、一般に概念法学の象徴とみなされがちなヴィントシャイトの内に既に見られるものであったという。また、慣習法の重視による具体的妥当性の確保という面において、サヴィニーとの共通点をも認めることができる。すなわち、イェーリングの批判した「概念法学」はほとんど議論のためのフィクションにすぎず、時代の要請に応えようとして努力したサヴィニー、ヴィントシャイトらが単なる盲目的な概念法学者であったということはできないのである。 イェーリングの主張は、ドイツ法学と同じような法実証主義的傾向を示していたフランスの法学会にも大きな影響を与える。ここでは、ナポレオン民法典の老朽化を背景に、客観的な条文と実際生活の実状との乖離が進行し、法令の改正もまた困難であるとき、論理解釈・類推解釈の形式によること無く、直ちに裁判官の自由探求によって法の不備を補うべきであるとの考えがフランソワ・ジェニーらによって主張されており、彼の主張は20世紀初頭のフランス私法学で主流をなすに至る。ジェニーの発想は自由法論の中でも極端かつ典型的なものであり、法的三段論法の発想とは逆に、まずはじめに結論ありきで、妥当な結論があってそれから後付けの論理で法律構成を考えようとするものであった。 また、刑法においても、イェーリングの影響を受けたリストによって、厳格な罪刑法定主義が緩和され、刑罰は犯罪への単なる懲罰(応報刑論)ではなく、個々の犯罪者に対する教育・是正と、それによる社会防衛という実践的側面を重視した目的刑論が導入されるという影響を及ぼしている(古典学派に対する近代学派)。ただしリスト自身は、刑法は裁判官の恣意と誤謬から市民を守るマグナ・カルタたるべきであるとして犯罪論(犯罪の成立)における罪刑法定主義を強調しており、この意味で一定の限界がある。刑法分野においては、自由法運動は学理的解釈よりも主に立法の改革、及び刑事政策の創設に結び付くところが大だったのである。「法律に正條なき者は何等の所為と雖も之を罰することを得ず」として、フランス式の厳格な罪刑法定主義を明文で宣言していた日本旧刑法2条が削除されると共に、裁判官の権限が大幅に拡大されて、同種の事件であっても犯罪の個別的性格に応じて幅の広い量刑が認められるようになったのはこの現れといわれている。 刑法解釈論において、罪刑法定主義の撤廃を説く論者は世界的にも多くなく、フランスのサレイユの民法解釈論の影響を受けて、これを刑法に応用した日本の牧野英一がその代表格とみなされている。この牧野の犯罪論そのものは法的安定性を重んじる刑法実務の採用するところではなかったが、目的的な犯罪対策の合理化・科学化という牧野の基本的視座はその後の刑法学に広く受け入れられ、学会の共有財産となっているほか、サレイユ流の自由法論の展開によって、日本法上明文の根拠規定の無かった信義則理論を確立し後の立法化に結びつけるなど(日本民法1条2項)、日本民法学にも業績を残している。 自由法論に対しては、その実践的・目的的性格の故に主観的・場当たり的なご都合主義に堕する危険があり、法的安定性を害するという批判がなされる。特に、前述の信義誠実の原則や権利濫用のような抽象的・概括的規定(一般条項)や、それに相当する法理論に拠るときは、モンテスキューがかつて主張したような機械的訴訟観とはるかにかけ離れたものになる分、既存の精緻な法体系を無視して大雑把に濫用され、法的安定性を破壊する危険性をも孕んでいることに注意しなければならないといわれる。 このため、成文の制定法が良く整備されているならなるべく論理解釈を駆使して客観的な法文解釈の枠に収めるべきであり、あえて正面から自由法論を採るべきでは無いとも主張されていた。特に、後のナチス法学に対してその理論的基礎を提供して恣意的な裁判を許したという一面は強く批判されている。 詳細は「国家社会主義」を参照 また、自由法論による法の社会性の強調は、当初こそ強い反発があったが、その後あまりにも多くの賛同者を得たため、あっけなく法律学上の常識となって陳腐化してしまったとも言われ、特にドイツにおける自由法学は概念法学との統合・止揚の方向へ向かう。 そこで、法文解釈の枠組みによる論理操作までは完全に否定せず、立法過程及び制定当時の社会状況を踏まえ、現在の状況と比較することによって、法解釈に歴史的・社会的な客観的裏付けを与えようとするエールリッヒらの法社会学派と、法的安定性の見地から自由法論を批判して「法律への忠誠」を説きつつ、利益衡量の手法によって具体的妥当性を実現するべきことを説くフィリップ・ヘック(ドイツ語版)らの利益法学が有力化する。 また、フランスにおいても、ドイツ法学の影響を受けつつ、成文法・慣習法以外に新法源を認めたうえで、それが比較法学などによって「科学的」に確定されなければならない(科学的自由探求)と主張したジェニーらとやや趣を異にし、類推解釈を駆使することによって、ジェニー同様の具体的妥当性を重視した結論を可能な限り成文法解釈の枠内に求めようとするレイモン・サレイユらの自由法論(進化的解釈)も有力化する。 すなわち、自由法論により提起された問題意識を受け止め、法解釈の実践的・主観的性格を認めるなら、立法当初とは異なる価値判断を法解釈に盛り込まざるをえないから、いかなる形で法解釈の客観性が保たれるかが法律家を長年にわたって悩ませたのである。まさにこの故に、法解釈は一定の結論を導くためだけの技術に過ぎないのか、客観的な科学としての法解釈学たりうるのかが、古くから議論されてきたのであった。 一方で、法解釈学の使命は裁判所によって将来実現されるであろう判断を予測・予言することにあるとして、法解釈における真理は相対的なものに過ぎないと主張したのがアメリカのホームズを祖とするリアリズム法学であった。 詳細は「相対主義」を参照 このようにして、かつて19世紀の大陸法学を支配した、法解釈の任務は唯一の正解の確認にあるとの信念が否定され、法解釈学の実践的・創造的性格が認識されるようになると、その指針となるべき法哲学、比較法学、法政策学、法社会学等の関連諸科学の重要性が強調されるようになる。 そして、いかなる解釈をすべきかについては、当該法文の文言を尊重しつつ、制度の趣旨・目的・社会の実態等を広く考慮して、極端な杓子定規にもご都合主義にも陥らないよう、法的安定性と具体的妥当性の調和、換言すれば、理屈と人情の調和を目指して解釈しなければならないと考えられている(→#概要)。 法律学は、「実現すべき理想の攻究」を伴はざる限り盲目であり、「法律中心の実有的攻究」を伴はざる限り空虚であり、「法律的構成」を伴はざる限り無力である。 — 我妻栄
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