自由民権運動活動期
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長じて立志学舎に学び、民権自由論を修める。 明治10年(1877年)に北川貞彦が「立志社」の下部組織として興した民権結社「発陽社」(跡地・高知県高知市天神町14)に参加。同社は機関紙『江南新誌』を発行するなど、立志社傘下の有力な結社として活動し、北川貞彦、弘瀬重正、宮地茂春、徳弘馬域郎、板垣鉾太郎、乾正士らがいた。 明治13年(1880年)、国会期成同盟の結成大会に参加。 明治14年(1881年)、板垣退助に師事して東北遊説に随行。 明治15年(1882年)、板垣退助の東海道遊説に随行。板垣の岐阜遭難事件の直後には末広座で聴衆1000人に対して演説を行う。同日の弁士には安芸喜代香らがいた。 明治16年(1883年)1月29日、板垣退助の次女・軍と結婚する。翌年長男・宮地茂秋が誕生。 明治28年(1895年)6月11日歿、享年36歳。墓は東京青山霊園(1ロ-21-1)にある。
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