自由民権運動への発展
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「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」の記事における「自由民権運動への発展」の解説
日本における自由民権運動は、維新回天の元勲・板垣退助が億兆安撫国威宣揚の御宸翰の意を拝し尊皇思想を基礎とし、明治天皇の五箇条の御誓文を柱として発展したもので、世界の自由主義思想とは潮流を異にする。特に御誓文の第一条「広く会議を興し万機公論に決すべし」の文言は重視され、国会開設および憲法制定の根拠とされた。自由民権家が例外なく尊皇家であったのは、その主導者である板垣退助の影響が大きい。板垣は「君主」は「民」を本とするので、「君主主義」と「民本主義」は対立せず同一不可分であると説いた。これらの論旨の説明には「天賦人権説」がしばしば用いられたが、単なる海外思想の翻訳ではなく日本独自の特色を有した。東北地方では河野広中、北陸では杉田定一、九州では頭山満らが活躍したが、初期において自由民権運動に参加した者は、いずれも板垣の薫陶を受けたものから派生している。
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