自由民権運動と御誓文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:48 UTC 版)
「五箇条の御誓文」の記事における「自由民権運動と御誓文」の解説
土佐藩出身の板垣退助は御誓文は立憲政治の実現を公約したものとして、明治7年1月12日、征韓論者を集めて愛国公党を設立。同1月17日、民撰議院設立建白書を左院に提出した。特に第一条「広く会議を興し万機公論に決すべし」は、民選議会を開設すべき根拠とされ自由民権運動が高まる中、明治13年(1880年)4月に植木枝盛が起草し片岡健吉・河野広中らが提出した『国会を開設するの允可を上願する書』でも繰り返し述べられている。明治憲法制定により帝国議会が開設されるまでの間、自由民権派は御誓文の実現を求めて、これを阻害する政府に対し批判を繰り返した。
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