自由民権運動の源流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 04:49 UTC 版)
「東中野 (八王子市)」の記事における「自由民権運動の源流」の解説
1870年、元新撰組隊士の斎藤一諾斎が金住院の住職となり、漢学や習字などの教育を行った。斎藤のもとには中野村からはもとより、大塚村、堀之内村、和田村など周辺の村々の子弟も集まり教育を受けた。このことが中野村や周辺地域における教育熱を高めたほか、大沢信重(のちの由木村長・南多摩郡会議員)、井上隆治(のちの由木村長)、林副重(のちの東京府会議員・大塚村)、柚木芳三郎(和田村)など、多摩地域における自由民権運動において指導的立場にあった人材を輩出することとなった。
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