維新回天
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 04:55 UTC 版)
幕末に長州藩では、吉田松陰が相続した吉田家が代々、藩学である山鹿流師範家となっており、吉田松陰は藩主毛利敬親の前で「武教全書」戦法偏三の講義を行っている。松陰は叔父にあたる玉木文之進から山鹿流を授している。江戸に出た松陰は肥後の山鹿流兵学者・宮部鼎蔵と交流を深めた。吉田松陰と宮部鼎蔵は1851年(嘉永4年)、山鹿素水に学んでいる。明治維新で活躍した高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、山田顕義ら長州藩の松陰門下生は、藩校・明倫館、松下村塾で山鹿流を習得している。 玉木文之進から山鹿流を講授された長州藩出身の 乃木希典は、明治天皇に殉死する前の大正元年(1912年)9月10日、学習院長として養育にあたっていた裕仁親王時代の昭和天皇、淳宮雍仁親王(後の秩父宮雍仁親王)、光宮宣仁親王(後の高松宮宣仁親王)に対し、山鹿素行が記した山鹿流の神髄である尊王思想の歴史書である「中朝事実」を自ら筆写して献呈した。
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