維新土佐勤王史(旧来説)
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「野老山吾吉郎」の記事における「維新土佐勤王史(旧来説)」の解説
元治元年(1864年)6月5日夜、志士を援助していた儒学者・板倉槐堂を訪問するために同僚の藤崎八郎と共に三条小橋を通過する際、池田屋事件捕遂の任にあたっていた新撰組(会津藩兵とも)20余人に呼び止められ襲撃を受けた。切り合いの末、負傷した吾吉郎は河原町御池の長州藩邸に逃げるも、傷が深く27日に割腹して果てた。
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