伝記の編纂とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:04 UTC 版)
伝記は坂崎紫瀾が主筆となり20年余の史料収集・編纂作業を経て大正元年(1912年)に『維新土佐勤王史』が刊行されている。 半平太の切腹後に武市家の家禄は召し上げとなり、未亡人となった富子の生活も困窮した。明治39年(1906年)、宮内大臣に出世していた田中光顕が富子に援助の手を差し伸べ、田中をはじめとする瑞山会の庇護によって晩年の富子は手厚く遇され、武市家の養子の半太も医学の道に進むことができ、梼原村(現高知県高岡郡梼原町)で開業している。 高知市にある半平太の旧宅と墓所は国の史跡に指定されており、旧宅近くに半平太を祀る瑞山神社がある。また、彼の生涯や業績を紹介する瑞山記念館が地元の住人らによって運営されており、絵師の弘瀬金蔵(絵金)の門人でもあった瑞山の手による美人画や「童女遊戯図」なども展示されている。
※この「伝記の編纂とその後」の解説は、「武市瑞山」の解説の一部です。
「伝記の編纂とその後」を含む「武市瑞山」の記事については、「武市瑞山」の概要を参照ください。
- 伝記の編纂とその後のページへのリンク