波野村・国土法違反事件 (1990年5月〜10月)
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「オウム真理教の歴史」の記事における「波野村・国土法違反事件 (1990年5月〜10月)」の解説
「オウム真理教国土利用計画法違反事件」を参照 1990年(平成2年)5月、日本シャンバラ化計画の一環として熊本県阿蘇郡波野村(現阿蘇市)に15ヘクタールの土地を購入し「シャンバラ精舎」を建設するために進出する。進出の目的は、波野村を武装化の拠点とすることで、ヴァジラヤーナのための兵器として、生物兵器ボツリヌス菌とそれを散布するための風船爆弾を数千個単位で製作する計画や、毒ガスホスゲン製造が計画された。また1990年4月にはボツリヌス菌プラントを第一上九に建設した。 教団はドライブインだった土地に対し5000万円を提示、しかし相場より高すぎるので県が警戒する恐れがあるとして3000万円で虚偽申告を行なった。その後、抵当権がついていたため地権者の負債1500万円を教団が支払う代わりに負担付贈与にすれば国土法届けは不要と教団の青山弁護士から言われ、3500万円即金で支払われた。負担付贈与契約が5月24日に締結されると、即日に建設資材が搬入された。土地を入手すると教団はプレハブ建設に着手し、大型トラックが通るために村道は勝手に広げられた。 人口2千人の村にオウム信徒450人が住民票を移したら、「麻原村長」が誕生し、村が乗っ取られると不安に駆られた村民は1990年6月に「波野村を守る会」を結成し、教団に建設計画の説明を求めたが教団は拒否した。8月には信徒と村民のもみ合いで十数人のけが人も出た。村は右翼団体や暴力団を雇ったともいう。他方、波野村に送り込まれた信徒は、石垣島セミナー後に出家した新人がほとんどであり、耐えられずに逃走する者も少なからずいた。1990年6月に麻原は家族と共に大分県宇佐市大字蜷木、8月には別府市汐見町に住民票を移している。 1990年7月に熊本県・大分県で死者行方不明14名の大水害が起きると、麻原は、波野村の水害は「神によって悪業(カルマ)を清算させられたとしか言いようがない」とビラで主張、村民は激怒した。チラシには「オウム関連のカルマ返しの例」として「坂本弁護士一家の神かくし」と記載されていた。 1990年7月頃に麻原は『南伝大蔵経』などパーリ語仏典の翻訳を開始した。最初は『阿含経』など北伝の経典翻訳を試みたが、ブッダ本来の教えとは思えない内容だと感じたらしく、南伝の経典を翻訳することに方向転換し、編集部から多くの人材を経典翻訳部門へまわして、『南伝大蔵経』をパーリ語の原典から翻訳するチームが結成された。教義編纂の中心だった編集部から主要な人材を移動させるほど、麻原は『南伝大蔵経』の翻訳を重要視した。 1990年8月、波野村役場が信者300人の住民票を受理しなかったが、8月中旬に麻原とマハームドラー修行者全員は、波野村に移住を開始した。波野村のシャンバラ精舎に幾棟かのプレハブ棟が建つ頃には、富士山総本部の多くの部署が波野村へ移動することになった。富士山総本部から波野村への移動には、ワゴン車が使われた。富士山総本部を出る時刻は、秒まで正確に決められていたが、麻原はカルマ落としとして「大宇宙真理占星学」で割り出した凶日・凶時を選んだ。 建設途中のシャンバラ精舎は過酷な環境だった。夜は富士より寒く、昼間は蒸し暑く、火山灰を多く含む土地は、雨が降ればひどくぬかるみ、乾けば砂が舞い上がった。シャンバラ精舎は多くの部署に分かれており、一番人数の多い「建築班」をはじめとして、洗濯と食事を担当する「生活班」、水道がないため、毎日タンクローリーで水を汲みに行く「水班」、動物を飼育する「動物班」、石垣島セミナーの出家で増えた子供で構成される「子ども班」、「修行班」、「南伝翻訳チーム」などがあった。隔絶された環境であるため、食堂の一角には食の戒律が守れないサマナのために、頼めば食べたいものを作って提供する場所が設けられていた。麻原はそこを「動物コーナー」と命名して許可し、利用する信者もこっそりと利用するという感じだった。 県は教団に国土法届出を指導したが、教団は従わなかったために8月16日に県は県警に告発した。 土地取得も難航し、地権者に更に500万円の負債が判明したため、地権者が届け出をしようとすると、教団側は拒否し、京都の信者からの借入金であるように見せかけるために虚偽の借用書にサインさせた。8月28日には麻原自らが地権者の自宅を訪れ、以前(薬事法違反で逮捕された時)20日間自白せずにいたが、自白してしまい、その後大変な目に遭ったとして、「自白をしないように頑張ってください」と説得したが、地権者は実際は負担付贈与でなく、売買だったと警察に打ち明けた。すると青山弁護士は「自供はいつでも覆せるので、他の土地の代金ということにして、この件は負担付贈与で通してほしい」と言ってきたが、地権者は「(嘘をつくことは)できない」と回答した。すると、教団は豹変し、「5千万円返すなら土地は返すが、これまでの開発費用4〜5億円を賠償せよ」と迫ってきたので、地権者は交渉を打ち切り、警察に全ての事情を話した。9月5日に教団は地権者が証言を変えなければ14億円の損害賠償を求めるという内容証明郵便を送り、さらに売買差益の3500万円も教団が貸し付けたものとして返還を求めた。 1990年9月にはホスゲン爆弾による無差別テロを計画した。 強制捜査前日の1990年10月21日、教団は代々木公園で「守ろう!信教の自由」集会を開き、麻原は「(中東への自衛隊派遣に触れて)私が予言したように再軍備が始まった。国民を靖国神社に参拝させるような国家神道の道を歩ませるしか軍国主義はとれない。このような国家の意図からすれば、オウムは反国家的団体であることは間違いない。権力者にとってオウムは邪魔で、どうしてもつぶしたい宗教である」「キリスト、モハメッドへの弾圧、仏陀釈迦牟尼に対する誹謗中傷。世界的に発展した宗教は、必ず国家の弾圧を受けている。そして今、オウム真理教への弾圧が行われている。私も近々逮捕されるだろう。だが、これを機にオウム真理教は世界的に名を残す宗教へと発展していく」と演説した。 10月22日、熊本県警と山梨県警が、波野村の土地売買に関する国土利用計画法違反、道路運送車両法違反などの容疑でオウム真理教の強制捜査を開始した。以後教団幹部が続々と逮捕された。しかしオウムは熊本県警内の信者から情報を入手しており、強制捜査も1週間延期していたので、武装化設備を隠蔽することができた。会見で教団は、波野村の土地はお布施で贈与されたもので、地権者の負債を肩代わりして融資したと主張した。幹部の早川が出頭する日には、ワイドショーが始まる午後3時に麻原が報道陣の前で熊本地検に電話し、県警が早川らを逮捕しようとすると、早川は「痛い、痛い」と激しく抵抗し、女性幹部が「マスコミの皆さん!警察の暴力です!」と実況した。一方、教団も江川紹子らに暴力をふるっており、波野村では見張り役の信者に押し倒され、代々木公園では江川が引き倒され、信者の母親も小突き回された。また、写真をとった弁護士の腕を捻じ上げてフィルムを奪い取ったりした。強制捜査後、麻原は「戦前の状況とそっくり。まさに宗教弾圧」(大本教弾圧)と批判し、信者二人が公務執行妨害容疑で逮捕されると「オウムが社会に迷惑をかけることをしたか。何か法に触れることをしたか」と声を荒げた。 教団は地権者に対して1991年5月に金銭返還請求裁判を起こし、法廷で教団は土地は地権者からの布施だと主張したが、地権者は否定した。 1992年4月、波野村との裁判で教団側が和解を申し立て、和解金20億円を請求した。1993年10月、波野村の住民票受理拒否をめぐる裁判で教団側が勝訴すると、1994年に波野村はオウムが5000万円 で手に入れた土地を和解金9億2000万円で買い戻すことで合意した。年間予算が24億円の村でこの額を支払うことについては村民同士でのトラブルもあった。 1992年6月に熊本市春日の土地を長野松本市の男性が購入後、94年7月にオウム教団に所有権が移った。男性は教団松本支部長で、素性を隠しての購入だった。91年にも長野県松本市でオウムは食品会社と偽って土地を購入し、訴訟となった。 一方、教団が波野村に先がけて土地を入手した山梨県上九一色村では許可なくサティアンなどの施設の建設を進め、住民と衝突した。92年12月には、反対する住民に信者が「あんたにも家族がいるんだろう」「坂本弁護士のように(行方不明に)なってもいいのか」と脅したり、住民の襟首をつかんで「みんな拘束しろ」と叫んだりした。。上九一色村の住民は「我々も最初から反対を叫んでいたわけじゃない。しかし、オウムは融和しようとしない。それどころか、通学や畑仕事のために前の道路を通るたびにカメラを向ける。車のナンバーは控える。汚水を垂れ流して周辺の牧草を枯らす。畑の中にトラックを停める。深夜2時、3時まで大音響で工事をやる。教団の車はやたらとスピードを出してあちこちで事故を起こす。抗議に行くと「バカヤロー」「コノヤロー」「テメー」「帰れ」の四語しか言わない。信教の自由はわかります。でも私たちの平和に生活する権利はどうしてくれるんですか。自分たちの青春をかけて開拓した土地が、連中に乗っ取られるのを黙って見てろっていったって、そりゃ無理ですよ」と述べている。しかし、1992年5月に上九一色村は信者の転入届を受け入れ、山梨県富沢町でも和解が成立した。
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