佐々木商店関係者
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「白い巨塔の登場人物」の記事における「佐々木商店関係者」の解説
佐々木 庸平(ささき ようへい) 演 - 南方伸夫(映画版)、田武謙三(67年版)、谷幹一(78年版)、小鹿番(90年版)、田山涼成(03年版)、柳葉敏郎(19年版) 職業 - 繊維卸業「佐々木商店」社長、胃噴門部癌患者 大阪船場で繊維卸業を営む株式会社佐々木商店の代表取締役(2003年版では、弁当屋)。家族は妻・よし江、長男・庸一以下二男一女。裸一貫からの叩き上げのワンマン社長。 胃の不調を訴えて浪速大学第一内科・里見助教授を受診。透視や内視鏡に加え、里見独自の検査法である生物学反応による検査を実施するが、極めて微妙な結果しか得られなかったので、第一外科・財前教授に診察を依頼。財前の透視でごく早期の噴門癌が発見され入院した。その際、財前の横柄な態度と病棟の冷たい雰囲気に辟易する。また、胸部X線写真に若い頃に結核を罹患した際の瘢痕ともいうべき陰影が発見され、柳原医局員は財前に「念の為に断層撮影をしておくべき」と申し出たが、即座に却下され、庸平の癌転移巣の疑いを持った里見も財前に強硬に掛け合うが、やはり一蹴され、予定通りに手術は行われた。 暫くは安定していた庸平の容態はやがて悪化。財前は術後肺炎と診断し抗生物質の投与を命じるが、里見は癌性肋膜炎を疑う。財前に胸部の再検査を提案するも、財前は海外の学会出張前で保険扱いの患者の容態など眼中に無く、遂には里見の対診を拒絶。一度も病室を訪ねないまま日本を出発する。庸平の容態は日増しに悪化、遂に呼吸困難を起こし、胸腔穿刺による胸水を吸引の際には一目で血性とわかるほどであった。財前不在の中、医長代理の金井助教授の指示で措置が取られたが、術後21日目で死亡した。遺体は病理解剖され、死因は癌性肋膜炎による心不全とされた。 なお、遺族は民事訴訟を起こし、佐々木商店は経営不振と専務・杉田の売掛金持逃げなどにより行き詰まり、庸平が入院に先立って「雁鉄砲」の喩えで危惧したとおりに倒産した。2003年版 描かれ方が大きく異なり、妻・よし江が、がんフォーラム会場に出席していた里見への相談がきっかけで受診し、やや進行した食道がんと診断される。極めて医者・病院嫌いという背景描写と、家業(弁当製造販売)への執着なども手伝って検査・問診等に対し不遜な対応に終始する。その態度に業を煮やした教授選での多忙の中にあった財前の対応の悪さも相まって、不安を抱いたまま執刀を待った。 胸部CTで左肺に炎症性変化と読影でき、確信には至らないものの食道がんから肺への転移巣である可能性を完全には否定できない陰影が発見される。これを財前は庸平がヘビースモーカーである事と肺炎の既往がある事を理由に、単なる肺への負担で出来た炎症性変化による陰影に過ぎないと考え、慎重な検査を進言する柳原や里見を一蹴した。しかし、実際には東教授の退官日に顔を会わせたくないという財前の思惑から退官日当日に予定されていた手術が強行されたという側面があった。 最終回では財前が今際の際にがんセンターに転院を勧める内容の譫言を口にする場面があるなど佐々木を死なせた事に責任を感じる描写がなされた。 2019年版 膵臓癌である事が判明し、財前の手術を受ける。術前では柳原や里見から陽電子放射断層撮影(PET検査)を進言されるも財前は拒否。手術中、柳原から肝臓の異常について生検に提出する事を財前に進言するが、財前はこれも拒否。膵臓癌の手術自体は成功するが、その後容体が急変。財前は手術後の胆管炎と言って抗生物質の投与を柳原に命じるが、里見は別の可能性を疑う。財前は里見や柳原の対診を最後まで拒絶、庸平は肝不全により死亡。大河内により病理解剖された事で、血管内リンパ腫で肝不全を起こしていた事が判明した。これまでの映像作品や原作と異なり、庸平の直接の死因となった肝不全は、財前が手術した癌そのものとは無関係である。ただし、財前の誤った判断が死を招いたという部分は共通している。 佐々木商店のその後については、庸平の死の影響で経営難に陥っている姿は描かれたが、倒産したというエピソードはカットされている。 佐々木 よし江(ささき よしえ) 演 - 村田扶実子(映画版)、田中筆子(67年版)、中村玉緒(78年版)、坂本スミ子(90年版)、かたせ梨乃(03年版)、岸本加世子(19年版) 職業 - 主婦、佐々木庸平の妻 佐々木庸平の妻。長男・庸一以下二男一女の母。株式会社佐々木商店創業以来、夫を支え続けた。 夫が胃の不調を訴えて浪速大学第一内科・里見助教授を受診して以来ずっと付き添い、容態急変の後も苦しむ夫を必死で看病した。その死後は病理解剖に附する事を拒んだものの、里見や長男・庸一らの説得で応じ、執刀する大河内教授に「顔だけはいじらないで欲しい」と懇願する。死因が執刀医・財前五郎の誤診と判明した後は告訴を決意、繊維業協会の理事から関口仁弁護士を紹介され、代理人を依頼する。また、佐々木商店の代表取締役となり、商いを続ける。 第一審は当事者尋問に立ち、河野の尋問に激昂して被告・財前につかみかかる。しかし、柳原の偽証や鑑定などもあり、道義的責任は問われたものの法的な責任はないという判決理由で敗訴し、関口と共に直ちに控訴する。しかし控訴審は、よし江にとって茨の道であった。佐々木商店は経営不振と専務・杉田の売掛金持逃げ、元売の商品引き上げなどにより行き詰まり、やがては倒産した。その債権者集会は修羅場となり、よし江は債権者から吊るし上げられ、位牌を掲げて土下座した。その後、元売の一人・大村伝助の計らいで共同販売所に入り、佐々木商店の商号は使えなかったため、村木商店の商号で事業を継続する。その共販所も、かつての社長夫人であるよし江や息子の庸一には実に辛いところであった。 審理においては、法廷で証言に立った受持医の柳原に真実を証言するよう懇願したが、そのときは柳原は真実を証言しなかった。しかし、私立K大学・正木徹助教授による胸部エックス線診断、北海道大学・長谷部一三教授による化学療法、近畿がんセンター・都留利夫病理室長による切除胃の病理検索など様々な新しい知見が出され、また当事者尋問では柳原がついに真実を証言、転移を考慮した治療計画に対する配慮の欠如と術後一週間での容態悪化に際した化学療法関連以外は主張を退けられながらも勝訴を勝ち取る。2003年版 後述の通り、信平や従業員に見限られ売上金も取り上げられた事から自宅店舗を売り払い、軽自動車の移動弁当販売で生計を立てつつ控訴審の費用を捻出している。 控訴審での勝訴後は、関口の法律事務所で息子・庸一と共にささやかな勝訴祝いを行うが、勝訴した直後に法廷内で自ら訴えた財前が倒れた姿を目の当たりにしたためか、後味の悪い表情を浮かべていた。 2019年版 原作と違い、経営は苦しくなったものの倒産により店舗を売り払うという展開はカットされている。1978年版で売掛金を持ち逃げした専務の杉田は、杉田寿広の名前で登場(演 - 中村育二)。佐々木親子を支える好人物として描かれており、庸一が大学を卒業するまで店を続けてはとよし江に勧める。一方で、財前が示談金として1億6000万円を支払うという意思を示した際には、佐々木親子のこれからを心配し、示談を受け入れる事を勧めている。 一審では敗訴したが、控訴審では財前側の逆転敗訴となり、損害賠償金8000万円を支払う事、財前の注意義務違反を認定するなど、全面的に訴えが認められた形で勝訴した。 佐々木 庸一(ささき よういち) 演 - 中島久之(78年版)、中村俊太(03年版)、向井康二(19年版) 職業 - 大学生、佐々木庸平・よし江の長男 佐々木庸平・よし江夫妻の長男で、大学生。大変に親思いの青年で、父が胃癌で浪速大学付属病院に入院した際は自らライトバンを運転して病院まで送った。父の死に際して死因に納得せず、母を説得して病理解剖を依頼。解剖の結果、死因は術後肺炎ではなく癌性胸膜炎と判明した際は激怒し、受持医であった柳原弘を詰問。執刀した財前五郎教授と共に法的責任の追及を明言する。初診した第一内科助教授・里見脩二は「誤診などと軽々しく口にするものではない」とたしなめるが、遺族の決意は固かった。 母を助け、家業を手伝いながら関口弁護士と共に裁判を戦い抜く。佐々木商店が経営不振に陥り、倒産した後は大学を中退、共同販売所で母と共に商いを続けた。経営不振にあえいでいたときに、様子を見ていた柳原を見つけて後を追おうとするが失敗する。 しかし、控訴審の終盤で柳原が財前に偽証を強要されていた事を告白して以降は彼に同情するようになり、控訴審判決前日には関口に、偽証罪で告訴されないか、と心配さえするようになった。2003年版 原作と異なり兄妹はなく、一人息子という設定に変更。父親の生前や、第一審中は荒々しい言動も多かったが、控訴審からは金髪に染めていた髪を黒髪に戻し、性格も少しは落ち着いたものになっている。 2019年版 2003年版と同様、一人息子の設定。父の死で佐々木商店の経営が苦しくなるも、倒産するという展開は描かれないため、大学を中退するという展開はカットされている。 佐々木 信平(ささき しんぺい) 演 - 奥野匡(67年版)、小鹿番(78年版)、廣川三憲(03年版) 職業 - メリヤス店店主、佐々木店庸平の弟 佐々木庸平の弟で、近所でメリヤス店を営む。兄・庸平の入院後はしばし見舞い、急死の際は死を看取る。死後は妻・よし江、長男・庸一を側面から支援。裁判の際も一審、二審共に第一回目の審理で証言台に立ち、死の模様を証言した。一審は被告代理人の河野弁護士に言葉尻を捉えられたが、二審は佐々木庸平の死と佐々木商店の経営不振との因果関係を明確に関連付けた。2003年版 庸平が営む弁当屋の従業員として登場。兄の死後、よし江が裁判に臨む事に対し、裁判沙汰で売り上げが激減した事などから不満を抱き、難色を示していた。一審敗訴後、再審に臨もうとするよし江に激怒、不満を持った従業員全員を引き連れ、よし江の元を去っていく。その際に残った売上金を自分を含めた従業員への退職金と新店舗を出す資金として全て取り上げる。 野村(のむら) 職業 - 元売・丸高繊維の営業部長 佐々木商店に出入りする大手元売「丸高繊維」の営業部長。佐々木庸平の急死で佐々木商店の経営が傾いたのを敏感に察知し、極めて冷淡かつ強硬な態度で代金回収をはかる。一度は未亡人・佐々木よし江の懇願により支払延期に同意したが、支払いのめどが立たなくなったと判断して日曜日の早朝に商品を引き上げにかかった。このやり方は「真珠湾攻撃」と異名をとる厳しい手法であった。 債権者集会では口を極めて佐々木親子を罵倒し、死んでお詫びするというよし江に対して、「ほんなら手伝(てつど)うたろか!」とまで言い放ったため、後に債権者委員会の委員長となる大村伝助から、「冗談でも言って良い事と悪い事がある。船場の商人には商人なりの情があった筈だす」と窘められ、ばつの悪い表情を見せ黙り込む。 1978年版では、姓が青木になっている。 大村 伝助(おおむら でんすけ) 職業 - 元売・佐々木商店債権者委員会委員長 佐々木商店に商品をおろしていた元売の一社の主。情け深い性格で、年齢は70歳を超えている。佐々木庸が商売を始めた頃からの取引相手であり、その死後、他社が次々と掌を返す中で未亡人の佐々木よし江、長男の庸一らを親身になって支援する。修羅場が予想された債権者集会を神社で行う事を提案。激しい言葉を浴びせかける元売たちを制止してその場を鎮め、債権者委員会の委員長となる。 倒産の後はよし江親子が共同販売所で商売を続けられるように便宜を図り、厳しい商いを強いられるよし江親子を見舞って温かい言葉をかけた。よし江はその恩義を表すべく、商号は大村の名前から村の一字をもらって「村木商店」とした。
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