佐々木営業部からレナウンへとは? わかりやすく解説

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佐々木営業部からレナウンへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 02:22 UTC 版)

尾上清」の記事における「佐々木営業部からレナウンへ」の解説

レナウン前身大阪佐々木八十八(ささき やそはち)と尾上せつぞう)によって1902年創業されたメリヤス等の繊維卸売業佐々木営業部」。 1911年尾上清同社支配人尾上長男として大阪市住吉区帝塚山生まれた帝塚山学院小学部住吉中学をへて慶應義塾高等部に進む。卒業と同時東京佐々木営業部入社同期入社本間良雄鈴木達雄、尾上俊郎など後の最高幹部たちがいた。 1922年英国皇太子エドワード巡洋戦艦レナウンで具奉艦ダーバン英語版とともに訪日佐々木営業部メリヤス等の商品ブランドとして「レナウン」を商標登録した。 1938年尾上清招集され中国天津駐留1940年復員し伊勢丹小菅丹治社長初代)長女、喜子と結婚。達矢、美智子をもうける。 1941年2度目招集熊本天草聯隊入隊除隊し商品部長になる。 1944年平和産業営業困難になり、佐々木営業部は「江商」と合併する尾上清3度目招集沖縄部隊入隊終戦宮古島迎えた復員後に江商衣料品部長になる。 1947年尾上清佐々木営業部再建し社長に就任資本金195千円社員25名、大伝馬町の江商ビル一部借りて営業開始した当初利益の上がらない会社だったが、尾上人材生産設備宣伝には惜しみなく投資続けた。「先行投資消費者重視が2大政策」として1950年代以降から週刊誌ラジオ宣伝開始した小売部門として大阪心斎橋に有信実業を設立し石津謙介らと「レナウン・サービス・ステーション」と「田中千代デザイン・ルーム」を設立素人モデル使い戦後初のファッションショー文楽座催した1949年洋裁ブームにのって高級婦人服地「レナウン・ファブリック」を発売しファッション・ビジネスへの指向強めていった。 1952年製造部門である東京編織を「レナウン工業株式会社」に、3年後佐々木営業部を「レナウン商事株式会社」に社名変更した。 1956年レナウン商事社長に本間良雄レナウン工業社長に鈴木達雄が就任尾上清両社会長になった本社神田鎌倉町現在の千代田区内神田一部)に新築移転同年札幌仙台名古屋広島福岡の5都市販売会社設立し地方小売店への販路拡大を図る。レナウン・チェーンストア(RS)を全国展開し暮らし肌着」を発売した

※この「佐々木営業部からレナウンへ」の解説は、「尾上清」の解説の一部です。
「佐々木営業部からレナウンへ」を含む「尾上清」の記事については、「尾上清」の概要を参照ください。

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