ステージへの傾倒と長いスランプとは? わかりやすく解説

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ステージへの傾倒と長いスランプ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 17:58 UTC 版)

赤塚不二夫」の記事における「ステージへの傾倒と長いスランプ」の解説

1975年昭和50年10月6日、『元祖天才バカボン』が日本テレビ系列放映開始。 この時期には漫画家としては最も多忙極め週刊誌5本、月刊誌7本の同時連載をこなす一方で長谷邦夫紹介によりタモリ出会うタモリ中枢とする芸能関係者との交流深める中、1977年昭和52年)を境に、ステージパフォーマンス強い関心示し傾倒していく。後述面白グループでの活動筆頭数多くイベント企画出演するようになったが、その10年後には「漫画費やしていたエネルギーステージで発散してしまった」といった趣旨発言があり、長いスランプに陥っている事を公言1978年昭和53年)、長らく主力作家として執筆していた「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」「週刊少年キング」での連載全て終了するまた、同年の「月刊少年マガジン12月でも、『天才バカボン』終了し以降執筆活動縮小傾向をむかえる。 1979年昭和54年)、3月31日にっかつ配給による赤塚原案面白グループ脚本によるロマンポルノ赤塚不二夫のギャグ・ポルノ 気分を出してもう一度』が公開となる。6月23日には赤塚原案製作総指揮脚本面白グループが製作に関わったコメディー映画下落合焼とりムービー』が公開どちらも監督山本晋也務め一部ファンからカルト的な人気を博するそうした陰で5月17日フジオプロ赤塚マネージャーとなっていた父親赤塚藤七すい臓ガン転移により71歳死去している。 1982年昭和57年)、『ギャグゲリラ』の連載終了この頃より、酒量激増する1985年昭和61年4月から12月にかけて、当時連載中だった「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)の『TOKIOカケル』、「オール読物」(文藝春秋)の『赤塚不二夫文学散歩』、「2001」(祥伝社)の『にっぽん笑来ばなし』、「サンデー毎日」(毎日新聞社)の『赤塚不二夫のどうしてくれる!?』などが立て続け終了し、ついにマンガ連載は「サンケイ新聞 日曜版」(産経新聞社)の7コマ作品『いじわる時事』1本だけになってしまう。以後しばらく低迷期が続くが、1986年秋から「ビッグコミックオリジナル」(小学館)で『「大先生」を読む。』、「話のチャンネル」(日本文芸社)で『花ちゃん寝る』、「週刊大衆」(双葉社)で『ヤラセテおじさん』の連載開始いずれも大ヒットとまではいかなかったものの、これらが赤塚漫画家復帰作”となった1987年昭和62年)、アルコール依存症陥った赤塚サポート行っていた、写真家の国玉照雄元アシスタントで、スタイリスト鈴木眞知子結婚結婚にあたって先妻・登茂子後押しし保証人になっている結婚記者会見には登茂子とりえ子も同席したこの年の夏、テレビ東京の『マンガのひろば』で『元祖天才バカボン』が再放送され小中学生中心にバカボン人気再熱した流れから、秋から子ども向け月刊誌コミックボンボン」(講談社)で『天才バカボン』『おそ松くん』新作連載スタートし赤塚漫画家として見事に復活遂げた。 翌1988年よりアニメ『おそ松くん』21年ぶりにリメイクされ、高視聴率マークするその後も『ひみつのアッコちゃん『天才バカボン』タイトルは『平成天才バカボン』)『もーれつア太郎』続々リメイク放映されるとともに赤塚の手による新作漫画が『コミックボンボン』を中心とする講談社児童雑誌連載されるなど健在さを印象付けたが、リバイバル路線終焉迎えた1991年平成3年)頃より更に酒量増え始める。 以後治療のため入退院を繰り返すものの回復兆しはなく、1992年平成4年)には長年赤塚のアイデアブレーンとして支えてきた長谷フジオプロ退社1993年平成5年)にNHK出版から、亡き父母への愛情賛歌綴った自叙伝これでいいのだ』を刊行。翌1994年平成6年)、NHKドラマ新銀河連続ドラマ化される1997年平成9年)、第26回日本漫画家協会賞文部大臣賞受賞1998年平成10年)、紫綬褒章受章1997年平成9年6月1日より、静岡県伊東市池田20世紀美術館で、「まんがバカなのだ 赤塚不二夫展」が開催され好評を博すデビュー前貴重な習作から1990年代初頭までの間に描かれ名作怪作、およそ200に及ぶ美麗生原稿展観出来るだけではなく赤塚自ら肉体駆使し挑戦したエドヴァルト・ムンクレオナルド・ダ・ヴィンチエドガール・ドガフィンセント・ファン・ゴッホといった歴史上画家のパロディ・アートも展示フロアには、バカボンのパパイヤミ銅像所狭しとディスプレイされるなど、美術館本来のイメージをぶち破る赤塚ならではの遊び心ウィット沸き立った回顧展となったその後、この原画展2002年まで、「これでいいのだ!赤塚不二夫展」とタイトル変え上野の森美術館新潟市美術館横浜ランドマークプラザ箱根彫刻の森美術館京都美術館えき、増田町まんが美術館など、全国巡業しいずれも大入り記録。特に、上野の森美術館では、期間中65,000人を集客し、ピカソ展やゴッホ展の記録塗り替え、同美術館動員新記録を樹立した。 また、赤塚故郷である新潟市美術館では「郷土作家シリーズ」と題し新潟各施設寄贈した直筆画のほか、四ツ中学校(現・潟東中学校)の同級生小林利明氏が保管していた処女作ダイヤモンド島』の原画20初公開された。初日には赤塚本人出席しサイン会トークイベント参加。「若い頃漫画家目指していたこの新潟で、漫画家となって作品見てもらえることがものすごく嬉しい。」「新潟時代漫画家になりたくて一生懸命勉強していたところ。本屋漫画雑誌探したり、パーマ屋映画館看板描いたり、思い出深いきょうは感無量です」「新潟個展開けることは、とても嬉しい。なんとも幸せです」と喜んだ当時赤塚の側にいたスポーツニッポン記者山口孝によれば赤塚珍しくスーツ姿で登場した何度となく会っているが、スーツ着た赤塚見たのは初めてだった。いつもなら襟の付いたシャツなら良いほうで、ほとんどTシャツで通すのだが……」、赤塚本人は「ここは特別だからね」と語っていたという。 同年12月12日吐血し緊急入院精密検査結果食道がん診断され22日告知を受ける。医師から「2か月後には食べ物がのどを通らなくなる」と告げられ、「食道摘出し小腸一部食道の代用として移植する」と今後の手術・治療の内容告げられたが「小腸食道使ったら、口からウンチ出てきちゃうんじゃないの。」とギャグ返す気丈さを見せて24日には退院強行民間療法での治療選択するその後放射線治療併行し、一時腫瘍消失するが、翌年11月悪化し入院12月10時間に及ぶ手術を受け、5か月間の長期入院余儀なくされ、体重13キロ減少した。しかし酒とタバコはやめられず、退院後のインタビューでは水割り片手インタビューを受ける型破りなパフォーマンス見せたその後毎月定期的にアルコール依存症治療のウォッシュアウト」のため入院繰り返した1998年平成10年)、三作目の「ひみつのアッコちゃん」1999年平成11年)、四作目に当たる「レレレの天才バカボン」が、それぞれフジテレビ系テレビ東京系放映開始されるが、1980年代後期 - 1990年代初頭赤塚アニメのリバイバルラッシュの時とは異なり放送期間合わせる形で赤塚の手によるリメイク漫画描かれることはなかった。 1999年平成11年1月共同通信社配信により「新潟日報」(新潟日報社)ほか全国各紙新作読み切りお正月ざんす』が掲載される『おそ松くん』後日談描いた作品で、絵本イラストなどを除く完成した漫画作品としては、本作最後となった。なお、本遺作赤塚の手による下書きや没アイデア残されており、2021年7月刊行の『夜の赤塚不二夫』(なりなれ社)に収録された。 2000年平成12年8月25日自宅内で転倒し頭を打つ。数時間後に言葉不明瞭になったため緊急入院検査結果急性硬膜下血腫診断される当初手術必要なしと判断されたが、その後右手麻痺出たため緊急手術その後順調に回復し11月1日には退院を果たす。同年点字漫画絵本赤塚不二夫のさわる絵本よーいどん!”』を発表ある日テレビで見た視覚障害を持つ子供たち笑顔なかったことにショックを受け、「この子たちを笑わせたい」という思いから制作したもので、点字本としては空前ベストセラーとなり、全国盲学校教材として寄贈された。なお、赤塚同書を少しでも安い価格提供するためにと、著作権料(印税)を辞退している。 2001年平成13年2月8日快気祝い兼ねた新年会赤塚センセイを囲む会」が都内ホテル催された。当初身内だけの予定が、漫画家仲間含め100名が駆け付ける騒ぎ」に発展。相変わらず水割りを手離さず新作構想を語る様子報道された。

※この「ステージへの傾倒と長いスランプ」の解説は、「赤塚不二夫」の解説の一部です。
「ステージへの傾倒と長いスランプ」を含む「赤塚不二夫」の記事については、「赤塚不二夫」の概要を参照ください。

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