面白グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 17:58 UTC 版)
タモリや高平、滝らと結成したグループ。 1977年3月、タモリの初LPの完成記念キャンペーンとして、タモリと東京ヴォードビル・ショーの共演によるショー「タモリ・ヴォードビル・ウィーク」を企画・制作。 1977年10月29日、渋谷公会堂で『輝け!第一回いたいけ祭り』というタモリや赤塚の“宴会芸”を見せるイベントを行うが赤字。奥成達編集で書籍『空とぶかくし芸』が刊行され(赤塚は表紙イラストや本文イラストを担当)、赤字を埋めた。 1979年3月、日活ロマンポルノにて監督:山本晋也、脚本:面白グループ、主演:柄本明、主題歌:所ジョージ、音楽:アルフィーで“赤塚不二夫のギャグ・ポルノ”として『気分を出してもう一度』を製作・公開。また同年6月、東映系でアメリカのコメディー映画『ケンタッキー・フライド・ムービー』に倣った『下落合焼とりムービー』を監督:山本晋也、脚本・出演:面白グループで製作・公開。 1981年、当時、下森真澄と宮村優子の共著で女子大生の赤裸々な本音を綴り、女子大生ブームの先駆けとなった告白本『ANO・ANO(アノアノ)』のパロディ本で、女子大生の本音にオジサンが返答するという内容の『SONO・SONO(ソノソノ)』を、面白グループ名義で刊行し、ベストセラーに。1986年には『ソノソノ』をミュージカル・ショーにして、銀座博品館劇場で『Oh! SONO・SONO(オー・ソノソノ)』を上演した。 上記のもの以外に、赤塚がプロデュースしたイベント、また赤塚をフィーチャーしたイベントには次のようなものがある。 赤塚不二夫がプロデュース・フィーチャーしたイベントマンガ劇画展 赤塚ギャグはここで生まれる!(1970年11月4日 - 、池袋・IKEBUKURO東武) マンガ劇画展の一環としてのイベント 原画展のほか、赤塚とフジオ・プロスタッフによる漫画製作の実演も披露 赤塚不二夫1000ページ展(1976年4月2日 - 、池袋・西武デパート) 原画展のほか、赤塚とフジオ・プロスタッフによる漫画製作の実演も披露 赤塚不二夫の大忘年会 花の応援団を応援しよう(1976年12月27日、目黒名人会) 赤塚不二夫のステージ・ギャグゲリラ(1977年3月8日、渋谷公会堂) 新宿オペラ・カルメン(1977年9月3日 - 9月6日、紀伊国屋ホール) ギャグゲリラ バカ田大学ギャグ祭(1977年9月10日 - 9月18日、東横ホール 現・東横劇場) とんでるカントリー王国(1983年8月6日 北海道士幌町) 熱気球による町おこしイベント 赤塚は大統領、たこ八郎は副大統領にそれぞれ就任 カムイ・トラノ83 屈斜路湖JAZZフェスティバル(1983年7月、屈斜路湖畔国立公園内) ザ・赤塚不二夫 おそ松くん わんぱくランド(1988年8月10日 - 22日、横浜そごう) おそ松キャラをフィーチャーしたアトラクションのほか、原画も多数展示 8月14日は赤塚不二夫まんが教室を開講 追悼 赤塚不二夫展 ギャグで駆け抜けた72年(2009年 - 、銀座松屋百貨店) 後に全国を巡業 赤塚不二夫生誕80周年 赤塚キャラ誕生のひみつ展(2015年6月19日 - 10月4日、明治大学米澤嘉博記念図書館)
※この「面白グループ」の解説は、「赤塚不二夫」の解説の一部です。
「面白グループ」を含む「赤塚不二夫」の記事については、「赤塚不二夫」の概要を参照ください。
面白グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 00:05 UTC 版)
1973年の「ワンダーランド」でのインタビューで面識を得ていた赤塚不二夫に、1977年に再会。赤塚に「友達を紹介してくれない?」といわれ、演出家の滝大作を紹介したところ、意気投合。タモリも加えた4人で、毎晩のように新宿二丁目を訪れ、坂田明・内藤陳・小松政夫・団しん也・たこ八郎・三上寛・研ナオコ・柄本明・所ジョージ・THE ALFEE・劇団東京ヴォードヴィルショーの面々などが加わり、毎晩のようにバカ騒ぎをし、タモリが密室芸をくり広げた。赤塚はこの集団を「面白グループ」と命名した。 1978年3月には、タモリの初LPの完成記念キャンペーンとして、『タモリ・ヴォードビル・ウィーク』を企画。高平がインタビューして面識を得ていた由利徹を赤塚に紹介して、また意気投合。由利の弟子のたこ八郎も同席するようになり、赤塚家の居候は、タモリからたこ八郎にかわった。そして、たこ八郎から紹介された山本晋也も「面白グループ」に加わる。同年、日活ロマンポルノにて、監督:山本晋也、脚本:面白グループ、主演:柄本明、主題歌:所ジョージ、音楽:アルフィーで、『赤塚不二夫のギャグポルノ 気分を出してもう一度』が制作される。 1979年には、東映で『ケンタッキー・フライド・ムービー』の日本版『下落合焼とりムービー』を、監督:山本晋也、出演:面白グループの面々で制作。同年、渋谷公会堂で「第一回いたいけ祭り」という、タモリや赤塚の「宴会芸」を見せるイベントを行うが赤字。奥成達編集で書籍『空とぶ宴会芸』が刊行され、赤字を埋めた。面白グループ名義で、当時ヒットしていた女子大生二人が執筆した書籍『ANO・ANO(アノアノ)』のパロディ本、『SONO・SONO(ソノソノ)』を刊行しベストセラーに。1986年には『ソノソノ』をミュージカル・ショーにして、銀座博品館劇場で『オー・ソノソノ!』が上演された。
※この「面白グループ」の解説は、「高平哲郎」の解説の一部です。
「面白グループ」を含む「高平哲郎」の記事については、「高平哲郎」の概要を参照ください。
- 面白グループのページへのリンク