グレゴリオ暦 暦法

グレゴリオ暦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 07:07 UTC 版)

暦法

グレゴリオ改暦が議論され始めていた1560年ごろには、平均太陽年は、約365.2422日であることが知られていた。(365.25日 − 365.2422日)× 400年 = 3.12日/400年 であるから、ユリウス暦における置閏法(400年間で100回の閏年)に比べて400年間に3回の閏年を省けば、かなりよい近似となることが分かる。このため、グレゴリオ暦では、400年間に、97回 (= 100 − 3) の閏年を置くこととして、1年の平均日数を365.2425日 = 365日5時間49分12秒 = 正確に31556952秒 とした。

365日 + 97/400 = 365.2425(日/年)…… グレゴリオ暦による1年の平均日数

なお、400年間の日数は、365.2425 × 400 = 146 097日であり、これは7で割り切れる(146097 ÷ 7 = 20871)ので、グレゴリオ暦は、曜日も含めて400年周期である。

400年間における閏年の回数の差
暦法 閏年 平年 合計
ユリウス暦 100回 300回 400回
グレゴリオ暦 97回 303回 400回

400年間に3回の閏年を省くには様々な方法があり得るが、3回の平年がなるべく均等に分布すること、わかりやすく記憶しやすいことを考慮して、「西暦紀元(西暦)の年数が、100で割り切れるが400では割り切れない年は、平年とする。これ以外の年では、西暦年数が4で割り切れる年は閏年とする。」というルールが採用された。

100で割り切れる年は400年間に4回あるが、400で割り切れる年は400年間に1回だけである。以上のルールによって、ユリウス暦では閏年になる3回分の年を、グレゴリオ暦では平年とすることができるのである。

100で割り切れる年のうち、西暦1600年2000年2400年は400で割り切れるので、これらの年は閏年のままである。しかし、西暦1700年1800年1900年2100年2200年2300年2500年・2600年・2700年は400で割り切れないので、これらの年は平年となる。

100で割り切れる西暦年の平年と閏年
西暦年 平閏の区分 備考
1600年・2000年・2400年 閏年 400で割り切れる年
1700年・2100年・2500年 平年
1800年・2200年・2600年 平年
1900年・2300年・2700年 平年

平年および閏年のそれぞれにおける各月の日数は、グレゴリオ暦でもユリウス暦と同じである。すなわち、1月・3月・5月・7月・8月・10月・12月は31日、4月・6月・9月・11月は30日、2月は平年が28日、閏年は29日である。

先発グレゴリオ暦とユリウス暦

上記の暦法(グレゴリオ暦)を1582年以前に遡って適用すると、200年3月1日から300年2月28日までは、ユリウス暦と同じ日付となる(ユリウス通日も参照)。これは以下の経緯による。

  1. 「制定に至る背景」の節にあるように、第1ニカイア公会議にて、春分日たるユリウス暦3月21日直後の太陰月14日の直後の日曜日を、復活祭とすることが決定された。
  2. しかし、ユリウス暦1582年には、ユリウス暦の精度があまり良くなかったことによって、春分日とユリウス暦3月21日の間に約10日の差が生じており、ユリウス暦の使用を続ければ、西暦1583年に含まれる春分日もまた、3月21日ではなくなってしまう。
  3. 西暦1582年10月15日(グレゴリオ暦)に上記の暦法が導入されたことで、西暦1583年からは3月21日と春分日とが基本的に一致するようになり[注釈 6]、第1ニカイア公会議での決定と矛盾しなくなった。
  4. その結果として、ユリウス暦と1582年以前に遡って適用されたグレゴリオ暦(先発グレゴリオ暦)の日付が、200年3月1日から300年2月28日にかけて、たまたま一致する。

注釈

  1. ^ この日は、ユリウス通日では「2299160.5」に、ユリウス暦では「1582年10月5日」に相当する。
  2. ^ 日本の公文書には西暦和暦も義務付けた法令が存在せず、省庁や自治体がどちらを使用するかはそれぞれの判断に任されている[1]
  3. ^ 日本は1873年(明治6年)からグレゴリオ暦に移行し、それまでの天保暦を旧暦、導入したグレゴリオ暦を新暦と呼ぶ。
  4. ^ ユリウス暦での1年は、平均太陽年より約675秒長い。
  5. ^ この日は後にキリスト教に取り入れられ、聖母マリアがイエスを身ごもった日「受胎告知日」として、太陽暦で祝われるイエスの誕生日12月25日すなわちクリスマスと対をなす祝祭日となり、更に中世のユリウス暦においては広く新年として扱われるようになっていく。
  6. ^ ただし、下記のように、将来、再びズレを生じることになる。「基本的に」が意味するのは、それまでの当面の間ということである。
  7. ^ この1月1日年初は、グレゴリオ改暦前にすでにヨーロッパ各地に広まりつつあった。
  8. ^ この暦法の制定は3月21日を春分とするキリスト教の教義上の都合に由来し、そこから年初である1月1日が定まる。

出典

  1. ^ “公文書の西暦表記、義務づけ見送り 政府方針”. 日本経済新聞. (2018年8月20日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34347110Q8A820C1PP8000/ 2021年12月27日閲覧。 
  2. ^ Seasons calculator”. 2018年9月3日閲覧。
  3. ^ 例えば1550年のローマのユリウス暦では、春分点が現地時間で3月11日午前6時51分になる[2]
  4. ^ a b 天文年鑑2013年版、p190(このページの執筆者:井上圭典)ISBN 9784416212851
  5. ^ デイヴィッド・E・ダンカン『暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか』松浦俊輔訳、河出書房新社、1998年12月、15頁。ISBN 4-309-22335-4 
  6. ^ Copernicus and Calendar Reform Starry Messenger,Department of History and Philosophy of Science, University of Cambridge, 1999. "Copernicus wrote in a response, which is now lost, but probably stated something along the position stated in the preface to his Revolutions, that reform of the calendar was premature because the precise length of the tropical year was not yet known with sufficient accuracy."
  7. ^ 青木信仰、「時と暦」、東京大学出版会、1982年9月20日、ISBN 4130020269、p.83 コペルニクスは遠慮深く、「今の天文学は不確かで、暦を改良するほど知識が揃っていない」として断っている。
  8. ^ De Revolutionibus (On the Revolutions)天球の回転について Nicholas Copernicus, 1543 C.E., 序文 TO HIS HOLINESS, POPE PAUL III,NICHOLAS COPERNICUS’ PREFACE TO HIS BOOKS ON THE REVOLUTIONS の最後のパラグラフの中程。「For not so long ago under Leo X the Lateran Council considered the problem of reforming the ecclesiastical calendar. The issue remained undecided then only because the lengths of the year and month and the motions of the sun and moon were regarded as not yet adequately measured.」
  9. ^ G Moyer (1983),"Aloisius Lilius and the 'Compendium novae rationis restituendi kalendarium'", pp.173-174, in G.V. Coyne (ed.), The Gregorian Reform of the Calendar: Proceedings of the Vatican conference to commemorate its 400th anniversary (Vatican City: Specola Vaticana), 1983. SAO/NASA Astrophysics Data System (ADS)
  10. ^ GREGORIAN REFORM OF THE CALENDAR - Proceedings of the Vatican Conference to commemorate its 400th Anniversary 1582-1982 p.182
  11. ^ GREGORIAN REFORM OF THE CALENDAR - Proceedings of the Vatican Conference to commemorate its 400th Anniversary 1582-1982 p.172
  12. ^ "Aloisius Lilius and the 'Compendium novae rationis restituendi kalendarium'" p.172, "a book was brought to us by our beloved son Antonio Lilio, doctor of arts and medicine, which his brother Aloysius had formerly written...", Gordon Moyer (1983),The Gregorian Reform of the Calendar: Proceedings of the Vatican conference to commemorate its 400th anniversary (Vatican City: Specola Vaticana), 1983.
  13. ^ デイヴィッド・E・ダンカン『暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか』松浦俊輔訳、河出書房新社、1998年12月、266, 277頁。ISBN 4-309-22335-4 
  14. ^ GREGORIAN REFORM OF THE CALENDAR - Proceedings of the Vatican Conference to commemorate its 400th Anniversary 1582-1982 pp.182-183
  15. ^ GREGORIAN REFORM OF THE CALENDAR - Proceedings of the Vatican Conference to commemorate its 400th Anniversary 1582-1982 p.183 クラヴィウスからMichael Maestlin への返書による。
  16. ^ Inter Gravissimas Issued by Pope Gregory XIII, February 24, 1582、グレゴリウス13世が発布した教皇勅書の全文、ラテン語・フランス語・英語の3言語版、英語版はBill Spencer( November 1999, revised March 2002)によるフランス語とラテン語からの重訳
  17. ^ 英語版のみ、Inter Gravissimas Home Page for Calendar Reform, Bill Spencer, November 24-28, AD 1999
  18. ^ 表現としての時刻――江戸期まで― 多ヶ谷 有子、p.86, 脚注29、関東学院大学文学部 紀要 第131号(2014)
  19. ^ デイヴィッド・E・ダンカン『暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか』松浦俊輔訳、河出書房新社、1998年12月、pp.298-299頁。ISBN 4-309-22335-4 
  20. ^ デイヴィッド・E・ダンカン『暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか』松浦俊輔訳、河出書房新社、1998年12月、p.333頁。ISBN 4-309-22335-4  ダンカンは1年につき約25.96秒の誤差があるとし、1582年10月から1997年年初までの累積時間を計算している。
  21. ^ Meeus, J. & Savoie, D. (1992) “The history of the tropical year” Journal of the British Astronomical Association, 102(1) p. 42による。
  22. ^ Meeus, J. “Astronomical Algorithms” (1991) p.166 および 須賀隆 “「七千年ノ後僅ニ一日」の謎” 日本暦学会 第21号 (2014) p.5 表2 による。
  23. ^ Tajerian, Ardem A.. “When Is Easter This Year?”. ChurchArmenia.com. 2012年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月13日閲覧。
  24. ^ デイヴィッド・E・ダンカン『暦をつくった人々 : 人類は正確な一年をどう決めてきたか』松浦俊輔訳、河出書房新社、1998年12月、p.299頁。ISBN 4-309-22335-4 
  25. ^ Saudi Arabia adopts the Gregorian calendar, The Economist, 2016-12-15.
  26. ^ 「暦の大事典」朝倉書店 2014年7月20日初版第1刷






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