鞍馬天狗と時代小説
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「鞍馬天狗」は当初は勤皇側に正義を求めるスタイルだったが、1927年に少年向けに『角兵衛獅子』を書く頃からはフェアプレイの精神による社会が志向されるようになる。また『角兵衛獅子』では、少年読者の視点を取り入れるために杉作少年を登場させ、鞍馬天狗は少年たちにとってもヒーローとなっていった。鞍馬天狗の連作を書き続けることに、やがて苦痛を感じるようになり、水戸の天狗党を題材にした『天狗騒動』(1925)の「序」では「作者は『鞍馬天狗』に対して抱いている不満を晴らす為に、この作品を書いたと云っても差支ありません」とも書いている。 1945年に連載された『鞍馬天狗敗れず』では、岡野新助を名乗る鞍馬天狗は生麦事件への対応でイギリスへの抵抗を主張して幕府に捕縛され、刑死したように見えたが、敗戦後に発表された最終回では生きて現れ、以後は戦後の空間を生きることになる。『新東京絵図』(1947-48年)では明治維新後の東京で海野雄吉と名乗って隠れ住んでいる鞍馬天狗は、旧幕臣たちの生き方を巡って新政府とも対立していく。最後のシリーズ作品『地獄太平記』(1965年)の後、1967年から鞍馬天狗と同じ時代を題材にした『天皇の世紀』の連載を始める。ここでは、攘夷は時代の狂気であったと言う歴史観、薩摩・長州による明治政府への批判的な視点が反映されている。 映画での鞍馬天狗役は嵐寛寿郎が大人気で数多く制作公開されたが、1953年に原作者として日本文藝家協会を通じ、映画会社側に「著作権無視」「原作を勝手に書き換えている」「映画の鞍馬天狗は人を斬りすぎている」ことを問題にして、上映中止を申し出た。大佛自身が「天狗ぷろだくしょん」を立ち上げて東宝と契約し、脚本にも参加して、小堀明男主演で新鞍馬天狗3本を撮ったが評判はよくなく、再び嵐寛寿郎主演にして2本を作って終了。その後は東映で東千代之介、大映で市川雷蔵などによって制作された。 『照る日くもる日』は、これもサバチニの『スカラムーシュ』を下敷きにした作品で、これを読んだ菊池寛は「あれは、君、大衆文学の手を全部使ってあるじゃないか。あれだけ書かれては、あとの者が書けなくなるよ」と語ったほどで、連載が始まると評判になって3社競作で映画化され、また小田富弥挿絵の祝儀袋やメンコなども売り出されるなど、同時期に『大阪毎日新聞』に連載されていた吉川英治「鳴門秘帖」と人気を二分した。 『赤穂浪士』では四十七士を従来の「義士」では無く「浪士」として捉え、元禄期における柳沢吉保ら新しい勢力と手を組んだ官僚政治への旧来の武士道からの反抗として描いたところが画期的であり、その後の忠臣蔵の物語にも影響を与えた。戦後1952年になって、赤穂浪士の「不義士」の一人である小山田庄左衛門を主人公に、大石内蔵助らの造形はそのままに、仇討ちに疑問を抱いて義士を脱落していく浪士を描いている。1954年の新作歌舞伎「冬の宿」でも庄左衛門を題材にした。楠木正成戦死600年にあたる1935年、大楠公600年記念事業の一端として、朝日新聞で『大楠公』を連載し、後醍醐天皇の隠岐脱出までを連載100回で区切りとして終了。続いて1943年に正成戦死後を描く「みくまり物語」、正成と大和にまつわる紀行文「勤王史蹟行脚 楠の葉陰」を執筆。 1928年に「大衆文芸の転換期」を発表し、ラブレー、デフォー、リラダン、アポリネールなどの空想豊かな新文芸を目標に掲げ、同年には海洋冒険小説「ごろつき船」を連載、翌1月からは題名を「海の隼」と変えて、舞台もシベリアからベトナムまでに拡げたスケールの大きな物語を展開した。日蓮650年大遠忌を2年後に控えた1930年には『日蓮』の連載を依頼され、伝説も取り入れつつ人間としての日蓮像を描いた。1933-34年に『時事新報』に「安政の大獄」を連載。当時の小林多喜二獄死や京都大学の滝川事件などの言論弾圧への抗議の意識が込められ、水戸藩士日下部伊三治や井伊直弼家臣長野主膳らを中心に描いたものだが、前半部までで連載終了し、桜田門外の変までに至る後半部は1975年の『大佛次郎時代小説全集』に収録された。また安政の大獄については『天皇の世紀』でも詳細に叙述している。 「薩摩飛脚」は、大佛は3度執筆している。1度目は1932年に『キング』(講談社)に連載され、薩摩から戻った幕府隠密が、行方不明となった同僚のために葛藤と対決を繰り返しながら再度薩摩を目指すが、<大阪の巻>を終えたところで連載が中絶。未完のままながら映画化もされた。1946年には自身が主筆を務める『学生』(研究社)に連載され、行方不明のとなった幕府隠密の子の兄弟が父を探して薩摩へ向かうという青春小説になっている。3度目は1955年に北海道新聞・中部新聞・西日本新聞に連載され、1度目と同様の筋立てで、行方不明の隠密の妻と弟や様々な人物が主人公と複雑に絡み合う物語で、翌年単行本として出版された。薩摩飛脚という言葉は、薩摩へ向かった隠密が江戸に戻れるのはまれであることから、出かけたまま家に帰らない喩えとして使われたが、大佛は1955年の連載予告で「面白い言葉だし、小説になる事情である」「あえて同じ題名を使って、新しく書くのは、自分が、よほどこの言葉が好きだからである。」と意気込みを語ったが、前作に比べて人物の動機や男女の恋愛心理が緻密に描写された作品になっている。 戦争末期になると、後藤又兵衛という、強権に屈しない純粋な武将の姿を描く時代物『乞食大将』にその場を移す。1950年に『おぼろ駕籠』を新聞連載する際には「久し振りで旗色明らかな大衆小説を書こうと思い立った」と述べ、田沼時代を舞台に、権力の壁に突き当たった若い旗本の姿を通して、人々の自立の精神の目覚めを描いている。 1967年にNHKから明治100年記念にちなんだ歴史ドラマの執筆を依頼され、小説作品では未刊だが『逢魔の辻』を中心に『その人』『薔薇の騎士』などを組み込み、維新の時代に生きる旗本3人の姉妹の生涯を描いた大河ドラマ『三姉妹』が放映された(鈴木尚之脚本)。1968年11月に同じ構想を元に戯曲を執筆し、新作歌舞伎が国立劇場で上演された。千谷道雄は劇評で「この戯曲の主役は歴史である」「三人の妹達の運命を通じて、その背後に人の力では抗し得ない大きな歴史の流れが描かれている」とした。大佛の時代小説はヴィクトル・ユーゴーやジョゼフ・コンラッドのように、政治から目をそらすことなく、同時に歴史上の大人物の存在感をしのぐ「世界性のあるロマンス」として拡がって行く特徴がある。
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