発言と報道とは? わかりやすく解説

発言と報道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 17:07 UTC 版)

池田勇人」の記事における「発言と報道」の解説

池田勇人語録には、本人発言とは異な見出し発言歪曲され報道されたことで後世歴史的失言として記憶されているものや、当時流行語にまでなった有名な発言などが多い。堺屋は「池田マスコミ面白おかしく発言歪曲しても怒らなかった」として、これがマスコミにも人気得た理由としている。池上彰池田マスコミ発言歪曲されて、それを野党利用されていたことに同情示しながら、「わかりやすい言葉聴衆の心をとらえる抜群発信力が、池田魅力ひとつだった」「高度経済成長期立役者」と絶賛している。 「貧乏人は麦を食え問題 第三次吉田内閣吉田1年生議員池田大蔵大臣抜擢して世間驚かせたが、池田有能な大蔵官僚であっても政治家としては駆け出しで、発言に脇の甘さ目立った1950年12月7日参議院予算委員会社会党木村禧八郎議員高騰する生産者米価対す蔵相所見ただした。この質疑応答池田は「所得に応じて所得少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済原則に副つたほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります」と締めくくった質問者の木村は「所得の少い者は麦を食え」という答弁であった批判し議場からも「重大問題だ」「第三放言だ」と声が上がった続いて答弁立った農林大臣広川弘禅は、池田発言趣旨自体内閣方針であるとしながらも、「池田君は少し言葉過ぎたと私は思いますが」と述べている。 これが吉田政権に対して厳し態度取っていた新聞翌日朝刊に「貧乏人は麦を食え」という見出し池田答弁紹介、これが池田自身発言のように伝わってしまい、各方面から強い批判を受けることになった。この発言をしたと報道されたときの報道被害宮澤は「ちょっと総理大臣になるのは無理じゃなかろうかなと思った」と述べている。秘書だった伊藤昌哉池田趣旨低所得者が米を食べられるようにするとして需要と供給で決まる米の値段政府介入するような米価統制する気はないということであった。さらに当時の米事情から池自身麦飯食べていたと述べている。急激なインフレーション抑止するための引き締め政策であるドッジ・ラインとってい時に在任していたことで、記者不人気だった池田はいつでも経済危機説を売りものにする経済評論家マスコミ狙われていた旨を回顧している。 ○木村禧八郎君 (略)米価を特に上げる、併しとか何とか余り上げないこういう食糧価格体系について大蔵大臣には、何かほかに重要な理由があるのではなかろうか。この点をお伺いしたいと思います。○国務大臣池田勇人君) 日本の経済国際的に見まして立派なものにしたいというのが私の念願であるのであります別に他意はございません。米と麦との価格問題つきましても、日本古来習慣に合つたようなやり方をして行きたい。(略)麦は大体国際価格になつている。米を何としても値段上げて、それが日本経済再建のマイナスにならないように、徐々に上げて行きたいというのが私の念願であります。ほかに他意はございません。私は衆議院大蔵委員会約束しておりますから、ちよつと……、又来ますから……。○木村禧八郎君 それじや一言だけ……、只今日本古来考え方に従つてやるのだという、その点はどういう意味なんですか。○国務大臣池田勇人君) 御承知通り戰争前は、米一〇〇に対しまして麦は六四%ぐらいの。パーセンテージであります。それが今は一〇に対して小麦九五大麦は八五ということになつております。そうして日本国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じよう米麦比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。 — 1950年昭和25年12月7日 参議院予算委員会 新聞による「中小企業五人十人報道 2年後第三次改造内閣池田通産大臣になっていたが、1952年11月27日衆院本会議右派社会党加藤勘十質問対し池田は「正常な経済原則によらぬことをやっている方がおられた場合において、それが倒産して、また倒産から思い余って自殺するようなことがあっても、お気の毒でございますが、止むを得ないということははっきり申し上げます」と答弁した経営原則無視している企業倒産するのはやむを得ないとするこの発言に対して野党は「中小企業倒産させてよいのか」と曲解してヤジ怒号浴びせ議場一時騒然となった。翌日新聞またしても中小企業五人十人自殺してやむを得ない」と歪曲して報道した池田発言した世間誤解された中で野党提出した池田通産相不信任案は、自由党反主流派欠席影響して可決され池田辞任追い込まれた。その後池田マスコミ野党歪曲され内容辞任させられたことでショック受けて自宅に引きこもってしまったが、宮沢喜一秘書官証言では「これで終わった明日土曜日だな。週末旅行でもするか。」と話してさばさばした様子であった経済のことはこの池田お任せください 池田総理となると政治的論争となりうる安保と9条問題早々棚上げして、国民の目を経済向けさせるべく街頭演説テレビ討論会などでこう力説した有名なこのセリフは、世の反発呼ばずそのまままかり通っていた。総選挙勝てたものの批判勢力がそれでも大規模な扇動成功していたことから法案読まず反対されている日米安保必要性一般世論理解させるよりも、日米安保下で経済実感させれば核保有する中ソが近隣にあるのに軍隊の無い状態での安保条約必要性理解されるだろうと語っていた。 私はウソ申しません 池田テレビ本格的に活用しようとした最初首相である。池田1960年総選挙において、ケネディニクソン大統領選でのディベート模倣して行われた「三党首テレビ討論会」に出演した。これは社会党江田三郎申し出に対して泥仕合ならないならという条件受けたものであったが、1960年11月20日第29回総選挙先立っては自ら自民党テレビCM登場して本音しか言えない池田というイメージ逆手に取って「私はウソ申しません」と言い切った。これらいずれも当時流行語となり、これが世論背景にした政権運営という新しいスタイル先鞭付けるものともなった。翌1961年には、NHK専務理事提案により、『総理と語る』を開始した。この番組は、ルーズベルトが行った『炉辺談話』というラジオ倣って首相くつろいだ気分国民語りかけることを目的とした番組であった。他にもテレビ意識してメガネ変えるなど、テレビ通じて親しみやすい首相イメージ作り出そうとした。 国のためになることなら… 総理就任後「寛容忍耐」を政治理念掲げた池田周囲に「国のためになることなら、電信柱にもお辞儀するつもりで総裁になったんだ」と話した。 君は… 浅沼稲次郎暗殺事件発生受けて池田衆院本会議場で行った追悼演説は、故人に対して「君」と呼びかけ大正末年浅沼友人浅沼のことをうたった詩「沼は演説百姓よ、よごれた服にボロカバン、きょうは本所公会堂、あすは京都の辻の寺」を引用するなど型破りな演説で、社会党議員が涙を拭うほどだった。池田のこの演説今日でも国会における追悼演説傑作一つ数えられる名演説として知られている。 山より大きな政治家としての池田はたびたび難局直面したが、一度逃げたことはなかった。そのつど周りに「なに、山より大きな出ないよ」と口癖のように言った。どんな大き、つまり難局向うからやってきても、そいつが普段隠れている山より大きいことは有り得ない、人は勢いだけに気をとられる怯えるが、大局から見れば大したことはないという比喩で、元は郷里農夫たちのいいならわしだったとされる池田亥年生まれが好きで、自宅居間にはいつも描いた掛軸下げていた。池田自身猪突猛進積極論者でもあり、この台詞いかにも池田にふさわしい。 国づくりとは人づくりである 第2次池田内閣時代1962年8月10日所信表明演説衆議院本会議)で「国づくりの根本たる人づくり全力尽くす」と述べ、その考え根幹同年10月池田私的諮問機関である「国づくり懇談会」を、12月5日に「人づくり懇談会」を創設し期待される人間像」を掲げて文教政策児童政策重点を置くことを指示した敗戦焼け野原にあって国民は食うために何でもした。池田仕事はまず経済の復興になってしまった。これが一応実現し次に何かと文教刷新考え日本しっかりした国になるには経済的独立の奥の精神独立必要だと「人づくり」という発想生まれた。また安定成長論で池田を揺さぶる福田赳夫党内批判勢力の「池田内閣所得倍増政策物質万能主義であり、日本民族精神荒廃させるもの」とする声に対抗する術でもあった。池田思い文教刷新にあり、占領政策や、それに便乗する日教組教育方針正すことではあったが、真の願い日本人精神独立であった人格育成重点置かれたのは、池田が「西欧には宗教結んだ道徳観があるが、日本には戦前儒教神道ささえられ教育勅語があったが、今はそれがない」と憂いていたためで、当時青少年犯罪社会問題となりつつあったことも背景にあった池田内閣時代全国的に統一した教育カリキュラム徹底されている。とかく経済成長のみを重視した印象が強い池田だが、国民道徳確立にも目を向けていた。しかし肉付けする役割を持つブレーンたちがこの分野は得手ではなくこの方針は、佐藤田中内閣まで引き継がれたものの、「国づくりとは人づくり」という哲学的命題上手くいかなかったとする評価もある。 今の経済規模日本軍隊があれば国際的地位はこんなものではない 池田諸外国との外交相手日本軍隊軍事的カード)がないと分かっていることで、日本同じよう経済規模他国にはできないだろう要求交渉経験してきた。そのため、池田は「今の経済規模日本軍隊があれば国際的地位はこんなものではない」と秘書伊藤悔しがっていた。自身批判する者が言う、相手要求飲ませる強い外交自国での国防出来ている国は米ソ中仏英など強力な軍隊背景としているからであると述べていた。そのため、日米安保破棄自衛隊解体など非武装中立主張する政党組織、その支持者日本と同じアメリカなど西側陣営にはもっと主張すべきと批判することを日本の外交どころか自衛すら危うくする主張としている者で東側陣営のための外患誘致だと批判していた。秘書伊藤池田評価される経済重視とは安保軽視一致するではなく再軍備憲法改正不可能な内は日米安保にあえて触れないことで維持する路線現実的な日本の安全保障とし、早く経済規模見合った国際的地位外交の幅を広げる再軍備を望む本心池田にあったことを回顧している。

※この「発言と報道」の解説は、「池田勇人」の解説の一部です。
「発言と報道」を含む「池田勇人」の記事については、「池田勇人」の概要を参照ください。

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