政財界への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 01:53 UTC 版)
「浅沼稲次郎暗殺事件」の記事における「政財界への影響」の解説
事件前、総選挙は安保闘争の盛り上がりから一転、池田内閣は所得倍増計画などの経済政策を前面に押し出すことで世間の耳目を集め、迫る選挙戦は自民党の安泰ムードとなっていた。その最中に起こった凶行は、ムードが一変する可能性をもっていた。この日の夕方、早くも東京都内の各所では池田内閣の責任追及の抗議デモが行われるが、総評から大した指令が出てない段階で2万人が集まったことは当時でも異例であった。社会党も池田内閣の総辞職を要求してくるなど、池田内閣は発足以来最初の危機を迎えていた。 池田と極めて親しかった産経新聞の吉村克己記者は浅沼が刺された瞬間をデスクのテレビで見ており、「この事件が政争のネタになったら、まさしく安保闘争の二の舞になる」と危惧し、池田邸を訪れて、数日後に迫る臨時国会を浅沼追悼国会として「池田総理自ら追悼演説をやるのが最良の方策です」と池田に進言。池田はこの進言を受け入れ、10月18日の衆議院本会議で、伊藤昌哉秘書の手による追悼演説を行った。この追悼演説は今日でも名演説として知られている(池田勇人#発言と報道)。追悼演説によって、世論にある程度の納得を与えて、社会党としても上げた手の降ろしどころがなくなった。 この浅沼追悼演説は、初めて政治というものを世論という土俵の上に引き出す切っ掛けになったという点で、戦後社会に大きな意味を投げかけた。仮に池田内閣がそれまでの政権同様、高圧的な手法でこの事件に対応していたら、池田内閣はその時点で潰れていた可能性もあり、世論の反発を入れて追悼演説を行ったことにより、日本に初めて民主主義が根をおろしたとも論じられる。 10月24日、衆議院は解散した。10月31日に行われた池田首相の選挙向け演説は、追悼演説の時とは打って変わって社会党に対して非常に攻撃的なものであった。11月20日投開票された第29回衆議院議員総選挙では、自民党は追加公認込みで300議席と圧勝した。社会党は18議席増の145議席だったが、民社党離反の痛手を埋めるには至らなかった。民社党は23議席減の17議席と惨敗した。そして社会党は、浅沼の追悼ムードが薄れると、構造改革をめぐる党内抗争に突入していった。 また、経団連(旧経済団体連合会)会長で東芝の石坂泰三社長は「暴力行為は決していいものではない。だがインテリジェンスのない右翼の青年がかねて安保闘争などで淺沼氏の行為を苦々しいと思っていて、あのような事件を起こした気持もわからないではない」と山口に同情的な発言をしたため、批判を受けた。経団連は自民党の有力な支援組織であるが、社会党にも少額の献金をしていた。社会党から民社党が分離したことにより、経団連では社会党への献金を中止すべきとする意見が出されていたが、石坂社長の失言で、民社党への献金とは別に社会党への献金も続けることになった。
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