政財界での躍進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 08:59 UTC 版)
1896年(明治29年)川崎財閥創設者で、幸次郎の米国留学の費用を負担するなど公私に渡って関係の深かった同郷の川崎正蔵に要請されて、株式会社川崎造船所初代社長に就任。この時、川崎造船所は川崎正蔵の個人経営から改め株式会社として再スタートした。それをきっかけとして、大阪舎密鉱業(1898年)、神戸瓦斯(同)、神戸新聞社(1899年)、神戸桟橋(1908年)、九州電気軌道(同)、九州土地信託(同)、川崎汽船(1920年)、国際汽船(同)、神港倶楽部、ベルベット石鹸、日本ゴム蹄鉄の社長に就任し、その他11社の役員を務めた。さらに神戸商業会議所会頭、1912年(明治45年)には衆議院議員に当選し代議士も務め、神戸の政財界の巨頭であった。
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