ナチスとしての哲学者
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「ナチズムの模倣 ― 日本・イスラム圏」および「ナチズムと文化への批判」も参照 社会哲学者イヴォンヌ・シェラットの学術書『ヒトラーの哲学者たち Hitler's Philosophers』によると、第三帝国ナチス・ドイツは様々な形で哲学者たちと相互協力しており、アドルフ・ヒトラー自身も「哲人総統」、「哲人指導者」を自認して活動していた。 「哲人王_(プラトン)」および「哲人政治」も参照 シェラットは以下のように述べている。 哲学は<道徳学(モラル・サイエンス)>の子孫である。そしてそれを相続するという意味でも、哲学に関わる者はその通ってきた不穏な道筋を意識し続ける必要があるのだ。 第三帝国の時代に生きていた人々 … キリスト教徒、優生学者、理想主義の哲学者たち、これらの人々がみな、ヨーロッパの土壌にかつて現れたものの中でも、最悪のプロパガンダのいくつかを普及させ、そこに名を連ねているのである。 「第三帝国」という概念について、『日本大百科全書』は以下の解説をしている。 第三帝国 哲学上では、物質的な世界を第一帝国、精神的な世界を第二帝国、両者を統合した理想の世界を第三帝国と称するが、「第三帝国」とは要するに理想的な人間社会をさすことばである。このためドイツ保守派の政治家や学者はナチス国家をドイツ民族の優れた性格が十分に発揮され、その世界的使命が達成される帝国と考えた。 シェラットによれば、「ナチ哲学者」の多くは刑罰から逃れて学界に残った。例えばマルティン・ハイデガーは21世紀でも、哲学における「スター」のような学者として見なされ続けている。かつて1933年にナチ党員となったハイデガーは、学術機関の「新総統」と公称し、また他者から「大学総統」とも呼称されるようになった。ハイデガーが「新総統」を宣言したのはナチ党員になって三週間後の1933年5月27日、彼がフライブルク大学新総長としてハーケンクロイツを掲げる就任演説を行った時だった。ハイデガーは聴衆のナチ党員たちと同種の隊服を着ており、ナチ式敬礼をして壇上に登ると、ナチズムを「精神的指導」、「ドイツ民族の運命に特色ある歴史を刻み込んだあの厳粛な精神的負託」と呼び、ナチズムによって「初めて、ドイツの大学の本質は明晰さと偉大さと力をもつに至るのである」と述べた。 ハイデガーはナチス内での出世を目指したが、彼は当世風な社会進化論者というよりロマンチック(ロマン主義的)で文化的なナショナリストであると見なされ、出世は頭打ちになった。それでもハイデガーは哲学者かつ「大学総統」として、人種的排外主義においても行動していた。彼は 国民社会主義〔ナチズム〕の内的真理と偉大さ を論じたり、地方の文部大臣に「人種学および遺伝学」のポスト新設を要請して 国家の健康を保全するために … 安楽死問題が真剣に熟慮されるべきである と主張したりした。 1935年にはハイデガーが「形而上学入門」という題の講義を始めており、再び この運動〔ナチズム〕の内的真理と偉大さ を論じた。かつての同僚かつ友人だった哲学者カール・レーヴィットと対面した時も、ハイデガーはヒトラー賛美を変えなかった。レーヴィットの論考によれば、ハイデガーのナチズムは《ハイデガーの哲学の本質に基づくもの》であり、深い忠誠から由来している。そしてハイデガーの「存在」や「在る」という概念は、《形而上学的なナチズム》であるとレーヴィットは述べた。またハイデガーは自著『存在と時間』で、かつての恩師かつ友人だったユダヤ人フッサールへの献辞を載せていたが、その献辞を削除することを出版社に快諾した。 ハイデガーは「国民社会主義大学教官同盟フライブルク科学協会」から、 国民社会主義〔ナチズム〕の先駆者たる党同志 とも呼ばれるようになった。彼は「ナチ哲学者」たち──アルフレート・ローゼンベルク、カール・シュミット、エーリヒ・ロータッカー、ハンス・ハイゼ、アルフレート・ボイムラー、エルンスト・クリークなど──とおおよそ友好的付き合いを続けると同時に、ナチズム教育を学生全般へ実行していった。そこでハイデガーは《人権・道徳・憐憫は時代遅れの概念であり、ドイツの弱体化を防ぐため哲学から追放されるべきだ》などと論じていた。1942年の講義(ヘルダーリンの詩歌『イースター』についての講義)でも彼は、ナチズムと「その歴史的独自性」を一貫して高評価していた。 かつてハイデガーの親友だった哲学者カール・ヤスパースは、ハイデガー、シュミット、ボイムラーという三人の哲学者は 精神面でナチ的な運動の頂点に立とうと試みた と結論している。 ハイデガーの愛人だったユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントは、「ハイデガーを潜在的な殺人者だとみなさざるをえないのです」と公刊著作で批判した頃もあった。しかしハイデガーと再開後のアーレントは、彼の本を世界中で出版させるためにユダヤ系出版の人脈を使って努力した。シェラットいわく「ハンナは、現代哲学の様相を一変させる計画に手をつける」ことになった。ナチスの戦争捕虜だった著名なフランス人哲学者ジャン=ポール・サルトルさえも、ハイデガー哲学を自分の思想に取り入れて彼を支援した。 アーレントは、ナチズムと哲学との繋がりを切り離そうとするようになった。例えば彼女は、アドルフ・アイヒマンを中心に「悪の陳腐さ」やナチスの「凡庸さ」、知性の無さを論じる政治哲学書を複数執筆していった。しかし、これはホロコースト生存者からの反発をも生むことになった。その原因は例えば、 アイヒマンが裁判を受けている最中に《自分はカントの道徳哲学と定言命法に従っただけだ》などと、ヒトラー同様に哲学を引用して自分の知的根拠としていたこと アーレントはこの裁判を傍聴していたにも関わらず、ナチスの哲学性を軽視・無視して論じたこと などだった。 『ヒトラーの哲学者たち』を2014年に翻訳した、三ツ木道夫(比較社会文化学博士)と大久保友博(人間環境学博士)は ヒトラーをして<哲人総統>と自称せしめた一九三〇年代ドイツの精神的雰囲気は、まさしくドイツ哲学の淵源から来るものである。 と述べている。訳者らによると、人文学者がナチスという暴力を擁護したことは、ある種の「人文学の敗北」、「教養主義の挫折」である。何故なら、人間は教養を身に着けたり本や音楽に感動したりすることで素晴らしい存在になるはずだったにも関わらず、そのような人文学的人間が不条理な暴力を認め加担しているからだという。批評家ジョージ・スタイナーも次のように批判している。 人間というものは、夕べにゲーテやリルケを読み、バッハやシューベルトを演奏しながら、朝(あした)にはアウシュヴィッツで一日の業務につくことができるものであることを、<あとに>きたわれわれは知ってしまった。そんなことができる人間は、ゲーテ読みのゲーテ知らずだとか、そんな人間の耳は節穴も同然だとか、逃げ口上をいうのは偽善である。こういう事実を知ってしまったということ──このことは、いったい文学や社会とどういうかかわりをもつのか。 プラトンの時代、マシュー・アーノルドの時代このかた、ほとんど公理になっているあの希望──《教養は人間を人間らしくする力である》、《精神のエネルギーは高位のエネルギーに転ずることができる》という希望は、<あとに>きたために知ってしまったこの事実と、いったいどういうかかわりをもつのか。 三ツ木と大久保は「訳者あとがき」で 日本でもここ数年、科学者のあり方がさまざまに問題となっているが、本訳書が人文学をめぐる社会的倫理の議論の一助になれば幸いである。 と締めくくっている。 社会看護学者ダンカン・C・ランドールと健康科学者アンドリュー・リチャードソンの論文によれば、ハイデガー思想などのナチ哲学へ向けられる擁護には、《哲学とは文化的に中立で政治から切り離されているもの》だという考え方が含まれている。しかしそもそもこの考え方自体が、哲学における特定の政治的・文化的な立場を有利にしようとしている。ここでは、哲学は政治的であり文化的に非中立なものだとする考え方が拒絶されている、と同論文は述べる。 同論文によれば、哲学的テクストの文化的中立性や非政治性をいくら主張したところで、哲学的テクストが文化や政治に巻き起こした「行動」(action)も「行動しないこと」(inaction)も、消え失せるわけではない。何故なら、いかなる哲学も行動も「文化的かつ政治的」(cultural and political)であり、また、何らかの哲学や行動を選ばないこと自体も一種の文化的・政治的行動であるからだと言う。 必要とされているのは「政治的・文化的な側面を我々に見えなくさせるハイデガーの解釈主義を拒絶すること」である。《哲学者(ハイデガー)たち自身についてはともかく、哲学的著作物については批判すべきでない》というような考え方は、(政治的・文化的な文脈からの)批判的研究を無視している。それは検証を無視したり、過ちを繰り返したりすることに繋がると同論文は結論している。
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