ナチスとの締結交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/12 06:20 UTC 版)
「ライヒスコンコルダート」の記事における「ナチスとの締結交渉」の解説
ナチズムのキリスト教観はカトリックと大きく相違しており、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)員が教会を攻撃する事件もしばしば発生していた。これをうけてドイツのカトリック教会は信徒にナチ党へ参加することを禁止する通達を行っていた。1933年1月30日のナチ党の権力掌握後はバチカンがナチ党政府にどういう対応を行うかが注目されていた。 3月13日にはミュンヘンのミヒャエル・フォン・ファウルハーバー(ドイツ語版)大司教が教皇ピウス11世の言葉として「貴殿(アドルフ・ヒトラー)はボルシェヴィズム(共産主義)と手を切った最初の指導者である」とヒトラーを賞賛したという報道がドイツで行われた。3月23日にはナチ党政府が「政府声明」を行い、これをうけて3月28日にはカトリック教徒のナチ党参加禁止令が解除された。ナチ党政府はこれを「カトリック教会がナチス・ドイツを承認した」と喧伝した。一方でナチ党員による教会攻撃はなおも激化し、6月にはドイツの司教団が具体的なライヒスコンコルダート制定を訴え、攻撃から教会を守ろうとした。 ヒトラーはかつてカトリック政党中央党に所属していた副首相フランツ・フォン・パーペンを政教条約交渉の担当者に任命した。パーペン自身は「良きカトリックとしての義務」からベルリンとローマを仲介したと回想している。4月7日にパーペンは中央党の党首ルートヴィヒ・カースとともにローマに赴いた。パーペンとカースは枢機卿国務長官(英語版)となっていたパチェッリとの交渉を開始し、過去に提示されていた草案を中心として合意案が策定された。 1933年7月20日、ヒンデンブルク大統領とピウス11世の名で条約締結が発表された。
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